一秒で足が地に着かなくなるわたし
2015年2月5日(木)
日日にあてがわれた時間の中のささやかな出来事は、たいてい一秒も留まらずに記憶から抜けてゆきますが、それもことと次第によるようで──。
娘と近くの図書館に向かっていたときのことです。
国道二十三号線と交差する小道で、待ち時間の長い信号に飽き飽きしていました。助手席にいる娘は本を開いています。脇から覗いてみたのですが、挿絵も会話も見あたりません。「挿絵も会話もない本なんて、いったい何の役に立つんだろう」と、まあそんなことはないのですが、おもむろに視線を戻し、目の前を行き交う車を見ていました。ぼんやりが高じて眠気が差してくるほどでした。
そのとき、右側から飛ばしてくる車が目に入りました。その瞬間、自分は、がばと背を戻し、目で追いかけました。
ルーフの上に、ミラーボールみたいな青いカメラを載せています。かなりスピードを出していたようで、視界にあったのは、ほんの一秒ほどでしたが、まごうかたなきグーグルカーでした。
「あいつを追いかける」
娘にそう宣告はしたものの、まさか、その勢いで信号を無視して左折することもかなわず、膝を震わせ切歯扼腕、かっこ悪い時間を過ごしたのでした。
そうして、信号が青に変わるまでの間、時間にして三十秒、二十台くらいが通り過ぎたでしょうか。国道に乗るなり猛然とダッシュし、次々と前をゆく車を追い越し始めました、軽ですけど。二十台ならどうにかなると思いました。
立春間もない夕方の五時。車載カメラで撮影するには、もはや薄暗い。きょうの仕事は終わりだろう。どこに帰るのか、どんな人が運転しているのか確かめてやろう。みいちゃんはあちゃんな気分でした。
しかしながら、車線変更を繰り返しながら追えども追えども、あのにっくき青いミラーボールは、影も形もありません。わき道に入ったのかも、などと、いらんことを言う娘を無視して、自分はさらにスピードを上げました。
追いついてどうするつもりだったのか。どこで誰がを知ったところでどうなるのか。そんなもの、何も考えていません。ウサギのつぶやきを聞いて飛び起きたアリスの心境と同じです。
ただ、穴に飛び込んだりはしませんでした。いつも中途半端な自分。もう追いつかないなと感じるままに、三重大学手前の信号でUターン。平穏な日常に戻ったのです。
追いつくことはしなかった。事故もなかった。そして何もなかった。平穏な日常を得た。
こんなとき、二十年前の自分なら、どうしていたか。
どうしたか、わかりません。あるいは同じ行動をとったかもしれない。
ただ、二十年後の自分から「あんたなら、どうしたね」と問われるとは、思いもしなかったでしょう。そしてそいつは、いまみたいに二十年前の自分に問いかけることもしなかったでしょう。
「いま」を生きていた自分と、「いま」半分「過去」半分で生きている自分との違いなのでしょうか。
図書館の返却本の棚に、「シナリオ錬金術」という本があって、頼みもしないのにタイトルが目に飛び込んできました。これぞセレンディピティか天の配剤か。ありがたくお借りしました。
帰り道、自分はまだ、やれるような気がしました。
※写真は本文と無関係です。ただ外観は、色も含め、こんな感じでした。
Update:2015-02-06 Fri 02:15:25