齢五十の坂を超えてから、いよいよ世の中、わからないことだらけだ。
台風18号と19号のあわい、むさくるしい雨が続くよなう、などと鷹揚に構えていたら、19号め、来やがった来やがった。何かとおだやかなこの地にも、相当の風雨を呼び込んでいる。テレビの各放送局からは、「九州の○○に上陸しました」とか、「たったいま四国の××に再上陸」などと、緊張したようすが伝わってくる。「上陸の恐れが……」などという言葉からは、海底から得体の知れない、いやなものが浜辺に競り上がってくるような場面を想像してしまう。
しかし、かねてよりわからない。「台風の上陸」とは、どういう意味があるのか──。
台風の接近や進路の状況で被害に違いが出ることはわかります。しかし、上陸するか否かで、何が異なるのだろうか。これは自分の中では、「長年なんとなく溜まり、次第に発酵しつつある疑問」であって、自分で甕のふたをあけて、つまり19号を機に、自分で問題として練り上げているとも言えるのですが、さて誰に聞いても、みな知らんと言う。友達もいないから聞くわけにもいかない。
同じように考える人はやはりいて、ネットで検索すると、「はてな」やら「なんたら質問箱」なんかで、この質問と回答のいくつかが出て来ます。
回答の中には、
──それは台風被害のない地方の人の戯言です。あなたは台風報道など見る必要はないのでチャンネルを変えてください。とか、
──各地で大きな被害が出て、亡くなっている人もいるのに、まったく不謹慎な発言だ。などというものがあって、質問者もさぞかし面食らったことと思います。言葉でやり取りすることの難しさ、というのか、人間という主体のバリエーションを実感できます。
繰り返しますが、質問は、「台風の上陸とは、どういう意味なのですか」です。
この質問者はまじめに問いかけています。要は、
──現場に立つリポーターの、「あ、たったいま情報が入りました。午後2時半、高知県宿毛市付近に再上陸、宿毛市付近に再上陸とのことです」とういう報道からは、まるで電源スイッチのオン・オフや、宝くじの当たり・はずれの違いのように、上陸か否かで、両者のボラティリティ(値の変動)が著しくあるように感じられるが、それは何かの根拠にもとづくものなのか。ということなのです。
つまり、質問者が例示するように、「上陸と接近では、保険金の出かたに違いがあるのか」とか、「気象関係者が記録として残すために、時間と場所は重要な値なのか」というように、上陸が意味のある(あるいは意味を持たせた)気象現象なのかを、問いかけているのです。
ところが、あきらかに、前に出た回答の主旨に引っ張られたような回答もある。
──台風の進路の東側と西側では、被害に大きな差が出ます。どこに上陸するのかは大事なんです。それは、上陸というより、進路の問題でしょう。それでは質問者への答えにはなりません。
──先の台風では、地元では思わぬ大きな被害が出ました。たとえ進路から外れた地域の人も、注意するに越したことはありません。聞くよりも答えるほうが先、というダイナミックなタイプでしょうか。
いろいろ探しましたが、不肖それがし、満足のいく答えは得られませんでした。
──台風の上陸って、意味、何なんですかねえ。テレビ局のトイレや控え室で、そんな話は出ないのか。
もうほとんど諦めています。
「台風の上陸」とは、誰もが口にする一方で、決して中身を問うてはならぬ、一種のタブーみたいなものなのでしょう。
国民的合言葉なのでしょう。
※うろ覚えのくせに、再検索もめんどくさいので、多少の脚色は放置してあります。