「記者会見での異様な号泣」
これが何のことかを特定するのに、向こう十年くらいは持ちそうです。異様さでこれを上回るものが、そうそう現れるとは思えません。文芸でも脚本でも、ひとがこしらえた状況でこれに匹敵するものがあったでしょうか。
わたしたちは、子どもからおとなに成長するにつれ、空間でも時間でもお金でも、扱うスケールは大きくなります。バンコクに出張した、三十年ローンを組んだ、相場で一千万円を失った、などは、巷間よく聞く話ととらえられます。ドラマの材料としてなじむのです。
反面、わたしたちが耳にし口にする言葉は、歳をとるにつれ表現の幅が狭まっているように思います。ドラマでなら、脇役の県議は、記者会見でなんと言わされるか。
「行動にやましい点は少しもないが、誤解を生じたこと自体、すべてわたくしの不徳の致すところであり、心からお詫び申しあげます」
「天地神明に誓って違法なことは何ひとつしておりません。すべて規則に則り、適切に処理しております」
「お忙しいなかお集まりいただき、また、わたくしの潔白を証明する場を与えてくださったことに感謝します」
このあたりが無難な線です。これを跨ぐとなれば、脚本の流れは、そのこと自体を事件として扱わなければならない。脇役にそれが許されるのか。
この県議の記者会見は、一連の騒動の主役ではありません。主役は政務活動費の不自然な支出問題です。
完全に主役を食ってしまいました。言葉の限界を突き破り、低い天井を押し上げてしまいました。
これを超えるものは、そう出そうにありません。
異常だと投げ打つのはかんたんです。別に脚本にしなくていいことですから。
でも、実体ならばこそ紛れ込んだこの現象を見て、虚構の中で書けば逆に不自然だなどと、あくびをする物書きがいれば、その人はきっと藤四郎。