清掃入門
2014年6月18日(水)
愚生中川、河芸の海の近くに住んでいるのですが、ここ影重区では、まいとし初夏のころに海岸清掃の奉仕活動が催されます。今年も、6月に行いますのでぜひご参加を、というお達しが回覧板で回ってきました。
いい人でありたい、立派に仕事を成し遂げたい、何とか社会の役に立ちたい。それが叶わぬならならせめて海岸のごみ拾いでもと、毎年のように自分は息子の手を引いて影重区の海岸に出向いたものです。
日曜日の午前十時、高札のまわりに蝟集した老若男女百名は、組長さんたちの指示の下、大袋を手に曇天の浜辺に散ってゆきます。
めいめいが砂の上を徜徉しながら、壜、缶、ペットボトル、プラスチックごみなど、もっぱら燃えないごみを分担して拾い集めるというのです。
プラスチック担当になった自分も、日頃の杯盤狼藉を帳消しにせんとばかりに、目に入る不逞のごみどもを片っ端からビニール袋に放り込んでいきました。
ところが、一筋縄ではいかないのは、ごみの世界でも同じようで。
ふと見ると、どうして海辺にこんなごみが出るものか、ネット状になったごついロープが砂から出ている。さっそく自分はしゃがみ込んで引き抜こうとしたのですが、それを近くに群生する植物どもが邪魔をするのだ。
何という恩知らずなふざけた植物であろうか、禍々しい棘のある葉を広げたやつが、茎をロープに絡ませて持って行かれまいと気張っている。ちょっとやそっと引いただけではびくともしやがらん。どうせろくな植物でもあるまいが、よろしい、そこまで抵抗するならこっちにも覚悟がある。なんとなれば、俺はいま、いい人なのだ。正義は強いぞ。
いいか、これはプラスチックというごみだ。本来お前らには用はない。なんど言ったらわかるのだ。君たちはだまされている。もういちど言う。これはごみだ。こんなものには依存も寄生もできないだろうが。いいかげん目を覚ませ植物の分際で。
自信に満ちた腕は力強い。だが強く引けば、応じて彼らもまた強く引き返してくる。よく見ると、どいつもこいつもロープを大量の茎でぐるぐる巻きにしているのだ。おのれ無知無能なあわれ植物ども。まわりで人が見ているではないか。
両足を前後に広げてさらに力を込め、マジっすか、と言われるくらい踏ん張った。それでも成果が出ない。なんとか成し遂げたい。役に立ちたい。
自分はいよいよ、何年も使ってないような満身の力を両の手に込め、ままよとばかりに、敵の意表をついてややフェイント気味に一気に引っ張った。二度、三度。
すると見よ。わはは、植物めら、おもしろ気なくらい芋づる式に引き抜かれてくるではないかプツプツと、腐れロープと運命を共にして。正義に逆らうからこうなるのだ。
自分は抜いたロープを袋に投げ込んだ。目下に大量の植物の骸。燃えるごみは今回は集めない。
俺はいいことをした。俺は正しい。しかし、ときに大衆は正義を礼賛しない。
肩を揺らして息をする自分を見下ろすのは、六月のぶ厚い曇り空。
息子は、どこだ。
Update:2014-06-18 Wed 23:13:52