実家が近鉄沿線にあるので、幼いころから踏切は馴染みのものでした。祖母に手を引かれながら渡るとき、いつも標識はそこに立っていたのです。
ひらがなが読めるようになると、文字の字面どおりに、ちゃんと、止まり、きき見て、通っていました。
自分の中では、「きき」は、「左右」という意味に解釈されていたのです。
よちよちとした生活の中で得た、自分だけの日本語です。
「きき」の本来の意味を知った(悟った)のは、中年に差し掛かるころでした。
三十年以上も、この言葉は他者に成りすましたまま、自分の言語野に居座り続けていたのです。右利き・左利きという言葉の音にも、「きき」と「左右」を結びつける効果があったのかもしれません。
いまでもこの白い標識を改めて見ると、あの解釈が自然に浮かんできます。
自分には、十二歳の息子がいます。まだまだほんの子どもです。
車で踏切を渡るときに、助手席にいる息子に聞いてみました。
──なあ、この標識に書いてあるの、どういう意味やと思う?
──止まって左右を見てから渡れという意味やろ?
仲間は身近にいるものだ。語尾は上がっていたけど。