きょう(6月8日)の中日新聞の紙面で、宗教学者の山折哲雄さんという方が、パワーポイントについて書いておられました。
曰く、いまやプレゼンテーション用定番ソフトのパワーポイントだが、これが使われることで、逆にプレゼンテーターの言葉が自分のところに届かない。演者がパワーポイントが示す画像の解説者になってしまっている。
わたしにも何となく想像はつきます。
演者の側では、山ほどもあった言いたいこと、命題の束を、わかりやすいようにとパワーポイントを使って図式化したのでしょう。ところが、いざプレゼンの現場に立って、改めて画像と対面してみると、どうにも心もとない。作図していたときの、あの情熱が言葉になって出てこない。これではただの図版解説者。プレゼン画像の中の矢印をポインターでなぞって、聴衆とともに一喜一憂している感じ。「手元の資料をもらえればじゅうぶんだったね」、なんて感想を持たれてしまう。
そんなところでしょうか。
いいかえれば、パワーポイントの画像が支配的な立場に立ってしまって、演者の熱い思いが言葉となって伝わってこないということなんでしょうね。
山折さんは、このくだりのあと、戦後の視聴覚教育の弊害について話題をつなげていきます。それは置いとくとして……。
最近のアナウンサーの言葉にも、似たような現象が見られます。
言葉が画像に支配されている。あるいは言葉が画像化している。
「……という側面があり、その中身を見ると……背景として……が浮き彫りになってきました」
そのようなナレーションを聞く機会が多いですね。
「側面」「中身」「背景」「浮き彫り」などという、図画工作を連想する言葉が「並んで」います。
文芸としてはレトリックなのかもしれません。イメージが得やすくなった反面、「シャープさ」がなくなってしまいました。
こんなふうに、あいまいな言葉を「連ねて」、ひとつの「絵を作って」しまうと、それこそ内容の「輪郭がボケて」、しかも解釈の「幅が狭まる」のではないかと思うのです。
まさに、パワーポイント的ですね。まあ、頻度の問題でもありますが。
ホームページの制作の上でも同じことがいえると思います。
ものを伝える以上、言葉は、画像より上位にいなければならないのです。
「図を見て納得してください」、「写真で感じてください」、で終わってはいけません。
きちんとした言葉が必要です。
言葉は、支配されてはならないのです。
逆に、絵にまったく縛られない、極端な言葉の使い方もあるんですね。
あの「ボケて(bokete.jp)」です。
(続く……)