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誤解の解けない、『誤解された初恋』
2014年12月7日(日)

   初恋
       島崎藤村


まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり


やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり


わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな


林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ


 これまで文学とは、ほぼ無縁の人生でした。本を読むのは好きでしたが、叢書や解説本の割合が多く、文芸書に親しむことは少なくございました。畢竟するに、その方面の知識は、学校で習う国語の範囲にすら、とおく及びませんでした。

 島崎藤村の『初恋』も、名前を聞いたことがあるかなあという程度でした。なにしろ、藤村を江戸時代の俳人与謝蕪村と取り違えていたり、島崎さんと藤村(フジムラ)さんの合作か? などと訝っていたくらいですから、お話になりません。

 ただ、「まだあげ初めし前髪の……」で始まる、あの七・五調の詩は耳に快く、記憶違いの箇所はあったかもしれませんが、とくに覚えようとせずとも、最初の何行かは空で声にできたものです。そうやりながら、昔の人の初恋に思いをめぐらしていたのです。

 近頃知ったのですが、斉藤某氏という方の書かれた本の中に、暗唱すべき作品として、この『初恋』が取り上げられていました。久しぶりに、この四連の詩を見たとき、改めて美しいと思いました。そこで自分は、風呂に浸かりながら湯気の中を音吐朗々、なんども音読し暗唱しようと努めたのです。

 * * * * * * * * * *

 さて、自分はいったい何を読んでいたのでしょうか。いま振り返れば、『初恋』を音読し暗唱しながらその内で、自分は作者の描いた風景とは、全然違うものを眺めていたのです。自分には詩文を読む能力も古語の素養も、まったくないことを知ったのです。

 『初恋』は、過去のものとして書かれていると、自分はなんとなく思っていました。そしてその『なんとなく』は、時間の経過とともに、自分の中で規定となっていました。これは昔の淡い恋の思い出として書かれている。そしてこの恋は成就することはない。少年の求める形のものはいちども現れることなく、どこかに行ってしまった。そう自分は解釈していたのです。三連目が少しつまらなく感じるのも、それまでと異なり、現在っぽく描かれていたからだと思っていました。

 しかし、この詩にかんしては、どの解説文を読んでみても、時制(文意の中の時相)は、その文が置かれたときであることで一致しています。すなわち、林檎の樹のもとで少女を見たのは、『いま』であり、『いつも見る風景』なのでした。いつものように少女は林檎を手渡してくれる。いつもように逢瀬を重ね、楽しい時を過ごしている──。

 あるとき、ネットの中で、『誤解された初恋』というタイトルの記事を見つけました。『誤解された』という前置きには、引きつけられます。自分は我が意を得たりとばかりに膝を打ちました。そうだ、わかっている人は、わかっている。やはりこの詩は過去を懐かしく思い出しているのだ。みんながみんな誤解してきたのだ。籐村先生は泣いている。どうしてわかってくれないのか。しかし、いまや自分は同士を得た。グーグルが検出したスニペットに目を通すや、はやる気持ちをなだめつつ、自分は提示されたテキストリンクをクリックしたのです。

 ところが、その人の解釈によれば、この詩は、清純な初恋の思い出ではなく、成長する少女への憧れの気持ちを描いたものだ、とのことです。誤解というフレーズは、「淡い恋の物語だと誤解されているけど、それは違うよ」と言うために使われていたのです。

 一部を引用させていただきますと──。

*藤村の「初恋」は、単に初々しい恋を詠っ
*た作品とはニュアンスを異にします。私は
*これまで、何となく片思いのような清純な
*恋の物語を思い描いていました。でも、そ
*れはまったく自分の想像の産物による誤解
*だったようです。
*ここに描かれた恋物語は、成人を迎え、大
*人の仲間入りをした女性に、あこがれと淡
*いエロスを感じている少年の姿が浮かんで
*きます。そして相手の少女も、寡黙で純情
*無垢な存在ではありません。まだ幼さを残
*している少年をからかって楽しむ、小悪魔
*的な性格も兼ね備えた女性像でもあるので
*す。

 自分は唖然としてしまいました。この解釈は、自分の中の『初恋』を、期待に反して、さらに数直線上の彼方に押しやるものでした。とくに四連目への解説が許せません。

*少女は少年にたずねます。
*──ねえねえ、この林檎の木に続く道は、
*誰が作ったのかな?
*自分ではわかっているくせに、いたずらっ
*ぽく少年に聞いています。
*そんな少女を見て、少年はよけいに彼女を
*愛おしく思うのです。

 腹立たしい限りです。この四連目は、自分の解釈ですが、他の三連とは異なり、現在を描いています。少年でも少女でもない、しかし、かかわりのある誰かが、気づいてつぶやくのです。

 ──こんな寂しいところにどうして小径がついているの。

 寂しい。たしかに寂しい場所かもしれません、いまとなっては。少年でも少女でもない誰かは、たとえば、おとなになった少年の娘なのかもしれない。あの恋が成就しなかったからこそ授かったわが子の言葉だとする見方です。砂を蹴って勇ましく歩く御侠な娘のうしろ姿の先に、古い一本の林檎の樹が浮かび上がっている──。恋しい。あの時間がなつかしい。しかし空蝉には熱があり、輪郭はゆるぎない。これに抗おうとするものは、おとながその手で葬らねばならない。

 問ひたまふこそこひしけれ

『どこかに、いってしまったもの』を炎にくべるような気持ちではないのでしょうか。
 ないのでしょうね、きっと。自分は国語、ほんまにあかんのです。


うつむいて、ぼくに尋ねるものがいる
──こんな寂しいところにどうして道がついてるの
そういって駆け出した子の背中に向かって、ぼくはつぶやく
──さあ、どうしてだろうね
かけがえのないものと、かけがえのなかったものが
目の前で重なる
許されないひとことを呑み込んで、ぼくは深呼吸する



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