パラドクス・パラドクス
2016年4月7日(木)
パラドクス・パラドクス
パラドクスという言葉から、謎めいた響きを感じていました。
パラドクスといえば、あのアキレスと亀のお話。いまでも見聞きすることがあります。ゼノンのパラドクスなどと呼ばれている有名なお話です。曰く──。
いかに足の速いアキレスといえども、ハンディキャップをもらって少し前に出発した亀に追いつくことは決してできない。なぜならば、先行する亀に追いつこうとするアキレスは、追いつくよりも前に、まずそれまで亀のいた場所にたどりつくことが必要であるが、ところが亀はその間に、いくらか前に進んでいるため、両者の距離はいぜん残っている。この距離を、はじめのハンディキャップに置き換えて、先ほどの動作を行ってみても、両者の距離は小さくなるとはいえ、ゼロにはならない。亀の歩みはのろいが、ゼロではないため、ある時間を与えられれば、必ずある距離を進む。ゆえに、これを何度繰り返そうとも、アキレスと亀の距離は、回数ごとに小さくはなるが、ゼロにはならない。しかして、アキレスは亀に追いつけない。いわんや、追い越すことなどできない。
三十何年か前、はじめてこの話を知ったとき、このパラドクスを解き明かしてみようと思いました。前半の命題は、完全に正しい。しかし、それから導き出されるとされる、追いつけないとの命題は、もちろん受け入れられない。
それならば、これはどうだと、──。
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無限小という概念は、頭の中にはあっても、このぶよぶよとした現実世界には存在していない。もし無限小が存在すると仮定すれば、指と指の隙間を操作するだけで、分母が何億何兆もの大きさの分数を無限に作り出したり、あるいは、ビスケットの割れ方ひとつで、大量の情報(たとえば小数点以下、何億何兆桁の数字の羅列)を蓄えることができ得る。そんなことは現実にはありえない。
現実の世界では、距離にしても時間にしても温度差にしても、固有の「最小サイズ」があって、あらゆる物理量は、それぞれの整数倍の値で測定されるのだ。もしその最小サイズ未満の端数は、その部分につき、0 であるとみなされる。
ひとつの例として、かりに長さの最小サイズを 1メートルだとすると、たとえば 2.5メートルという長さは決して計測されることはなく、2メートルとの結果を得る。長さの最小物理量が1メートルなので、それの整数倍しか、この世では観測されないのだ。
となれば、ぎりぎりまで(最小単位の長さまで)アキレスに迫られた亀は、ある与えられた時間内には最小単位ひと粒の長さを進むことができず(すなわちその時間だけ静止している)、次の瞬間ひと粒を進んできたアキレスに並ばれてしまう。その後は、両者同時スタートの結果と同じだ。「この世の長さ」とはそういうものなのだ。
すなわち、アキレスはきっと亀に追いつくだろうと、われわれが簡単に想像できるのは、われわれ自身もこの世の構成員であり、無限小をもたないこの現実世界の(奇妙な)振る舞いに慣らされているからにすぎないのだと。それはまるで、「摩擦」という現象が存在するなどとは、この世に住んでみなければ想像もできないだろうけど、住んでいれば普通に体感できる(たとえばひもを結ぶ)ことと同じなのだと。
現に電気量は、電子一個の持つ電荷の何個分に相当するかで決まるし、時間だってそんな感じに違いない。この世の中は、そんなふうに出来ている。
が、しかし、それでこのパラドクスの解明になるのだろうか?
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まあ、若かったんですね。相手が仕掛けた幻に惑わされ、夢中になって振りほどこうとしていたのです。結局は、結論は出ませんでした。
出ようが出まいが、時間だけは過ぎてゆきます。
あるとき、ふと気づくのです。
ふたつの命題は、互いに関係がないことに。
最初の、アキレスが亀との距離を縮めていく話は、アキレスが亀に追いつくまでの、無数にあるイベントのひとつを述べているに過ぎないんですね。
「アキレスが、アキレスと亀との距離の10パーセントの地点に到達しても、亀はその時間に少し進む」
「アキレスが、アキレスと亀との距離の50パーセントの地点に到達しても、亀はその時間に少し進む」
「アキレスが、アキレスと亀との距離の90パーセントの地点に到達しても、亀はその時間に少し進む」
あたりまえのことばかりです。
ところが、この距離の割合を「100パーセント」と差し替えると、印象が変ってきます。
「亀がいた場所に到達する」と書かれると、まるでそれが(それが唯一の)、アキレスが亀を追い越そうとする意志をもった動作であり、かつそれは成就しなかった(追いつけなかった)、というストーリーのように読めてしまうのです。
むろん、これはストーリーではなく、必然です。あたりまえの現象です。「亀がいた場所に到達する」という動作を、なんど繰り返しても、両者の距離はゼロにはなりません。
だけど、そのことと、アキレスが亀に追いつけないという命題とは何の関係もないのです。まったく因果関係のない両者を、「ゆえに」で結び付けているのがおかしいのです。「人は馬より走るのが遅い。ゆえに人は馬に触ることはできない」なんて言っているようなものです。それをかつての自分ときたら……。
もうこの問題は、自分の中では解決しています。
パラドクスよ、人と時間が作り出した幻よ、さらば。もう若くなんていられない。
Update:2016-04-07 Thu 21:45:47

極楽湯の男湯にいた三人の女の子がもたらした夢だと妻は言う
2016年3月5日(土)
なぜおとなが怒らない。なぜ大衆は黙るのか。ならば乃公自らが立とうではないか──。
それでもそれは、しょせん脳内で自分が作ったもの、とは言い切れない。自分の中であっても、自分自身もまた、受身の人なのだ。
★
市の体育館で、中学生・高校生たちを中心としたイベントが開催されるというので、自分は家内とこれに出かけ、舞台に向かって横に何列かに並べられたパイプ椅子に座り、演し物を待っていた。舞台と椅子の列までの間は広い床で隔てられている。
会場は熱気でむんむんしていたが、さいわい出入り口に近い後ろの席だったので、右後方に大きな壁の空きがあり、そこから空気が出入りするのがうれしかった。
さて、イベントのオープニングらしく、舞台ではない、目の前の床に、脇から少年少女たちが、いろいろな扮装で入場してきて、横一列に並びはじめた。目の前、十メートルもない距離である。
生徒たちは、制服を着た小数の他は、たいていは思い思いに装飾を凝らしたコスプレのようないでたちの者が多い。中には水着に近い恰好の少女までいて、入場のたびに観客席から軽いどよめきが起こる。それには、たとえだれかの策による演出とはいえ、己の目を楽しませてくれるこれらパフォーマーに対する賞賛が、いくらか含まれているのだ。
しかし、続けて入ってきた中学生とも高校生ともつかない、三人の少女たちを見て自分は目を剥いた。
なぜ、中学生か高校生かわからなかったのか。それは彼女たちが全身丸裸であったからである。胸元に垂れる髪も、からだの真ん中に萌えるはずの薄墨も、およそ隠しうるものが何もない。それなのに、まるで透明のコスプレをまとい、その衣装が気恥ずかしいのだ、といった風情を漂わせている。
まさに異様である。この異様さは、それまでの仮装のような異形とは隔絶されているはずだ。連続してはいない。なのに、周りの人びとの反応は、同じような驚き、同じ程度のどよめきに終始しているのだ。
こんなことが許されるのか。
彼女たちのこの恰好は、ある小さなサークルの中の支配者、すなわち教師や指導者による、思慮のない演出の結果によるものだと、自分は即断した。
自分は立ち上がってその場を離れ、この狂態の責任者──愚かな判断をした指導者を探そうとした。おろおろと、しかし確信を持って。
自分たちの座っている右うしろの仕切りの空きには、いつのまにかシャッターが下りていた。その脇にある内部屋を覗いたが、だれもいない。続けてその左側にある階段を駆け上がり、二階の控え室のドアを開けてみるも、もぬけの空だった。さらに舞台の袖の楽屋に足を踏み入れても人影は見えない。さっきまでいたはずの、いなければならない者たちが、ことごとく姿を消していやがる──。
この期に及んでも、観客のだれも加勢に加わろうとはしない。畢竟、この愚か者と大衆は、シルエットを異にしないのだ。哀れなるかな、彼女たちは、全裸であるにもかかわらず演出だとでも思わされている被害者なのだ。それをどうして大のおとなが見抜けないのか。
とうとう見つけた。
黒いジャージ姿の教師風情だ。観客の左側の席に、紛れていた。いやさ、紛れていやがった。
この男が首謀者に違いない。
自分は男の前に進み出ると、ことさらに声量を上げ、こんなことが許されるとでも思っているのか、わたしは君を告発する、と告げた。大衆どもに聞こえるように。そして自分の中に響き渡るように。
それには証拠が要る。彼女たちの証言がほしい。
うしろを振り返ると、妻の席の前に小机があり、葉書大のメモ用紙が一枚あることに気付いた。それを受け取ると、まずひとりめの少女に、名前と住所を書いてもらった。君が悪いんじゃない、君たちは被害者だ、君たちをこんな風にした犯罪者をこれから罰してもらうのだ、とつぶやきながら。
ひとりめの少女は、ていねいではあるが、ものすごく字がへたで、名前と住所の間の行間をぜんぜんとっていない。カタカナとアルファベットを交えた名前の次に行を変えて、居候をさせてもらっているらしい弁護士事務所の住所を続けて書いた。
その住所だけど、白塚? すぐ近くではないか。そうか君は三重県白塚市か……、と言いかけて、三重県津市白塚町と言い直す。
あとのふたりの分の書くスペースがなくなったので、彼女たちが持っているチラシの裏に書いてもらうことにした。ごめんね、一枚使わせてね、などと穏便に頼むその脇で、俺はわれながらやさしく話す人だなあと感心している。
ふたりはチラシの裏に、めいめいの名前と住所を書いている。そうこうしている間じゅうも、自分以外のおとな、行事に参集した人びとは、だれひとりとして声をあげない。おしなべて、邪魔もしないが手伝おうともしないのだ。
──それからこれ、見てください。
はじめの少女が一冊の古ぼけたノートを差し出してきた。それがまだ少女の手の中にあるうちに、これはおとなたちが収支をちょろまかしている実態を、彼女たちなりに書き綴ったものではないかとの予感が瞬間的に沸き立った。
──これを貸してほしい。
うなずく少女に、いつまで借りられるかと尋ねると、きょうの夕方までというので、少々鼻白む。夕方かい、まるで子どものメモ扱いだな、とちょっとつんのめったが、とりあえず借りることにした。全ページをコピーすれば間に合うとも思った。
しかしよくよく見ると、それは自分が大学生のころに使っていたコクヨの Campus のようでもあり、開くとほぼ全ページにわたっていい加減な殴り書きがしてあった。ノートの途中に空白の部分があり、その中の一ページに彼女たちがしたためた「情報」が書かれているようだ。
セロハンテープで補修してあるそのページを手で破り取り、夕方までには君のところに戻すからと約束してふところにしまった。
気がつくと、すでに彼女らは衣服を身につけ、椅子に腰を降ろしたまま、三割にも満たないであろう期待を含んだ視線で自分を見上げている。
自分は、しかと承った、かならず俺は実行するぞ、と心に誓いながら、ゆれる視線を目の前の黒い瞳に重ねた。
シャッターが開き、光と風が入ってきた。
Update:2016-03-05 Sat 15:41:53

夢の中の自分に腰を抜かしている
2016年1月6日(水)
★
用事があるから出向いているのであって、決して暇などではないのだが──。
顔と名前は知っているが、さほど親しいわけではない、ほどほどの人と、偶然に道で出会うことがある。
Xさん(仮名)もそんなひとりで、しかし自分の顔を見るなり、安くていい郭があるから、これからいっしょに行こうと誘ってくる。
──若いのが揃ってるんだよこれが。ナニの方もね。
ひゃっひゃっひゃっと、平家蟹の甲羅のような顔から白い息を吹き出して笑うXさんに圧倒されながら、しばらく憮然としていた自分だったが、しばらくすると、これも世に言うセレンディピティではあるまいかという考えが沸いてきた。
自分は女郎買いなどしたことがなく、そんなことは品のない行為だとして、避けて通してきたのだけど、やはり直感というのか、現場ならではの閃きによるものは業が強い。
あくまでXさんに釣られて、という風を装いながらも、自分は生れてはじめてかの場所の門をくぐったのである。
なんだかんだで部屋に通されたが、やばいとは思った。すでに数人の人がいるのである。郭の従業員と見えた。これから行為に及ぼうという際にも立ち去ろうとしない。そればかりかカメラや照明などの機材を調整しているようなのである。
しかし、ここが自分の困ったところ。僕の悪い癖。「ようなのである」というのは、それらを背中で察しているからそうとしか言えないのであって、すでに自分は目の前に上半身裸で横たわる娘、これより始まる人類共通の営みの相手を見定めるのに、集中力の大半を注ぎ込んでいるのだ。我ながら呆れたやつである。
女は十分に若く、キュートである。その張りのある肢体には、幾度も人の肌を経てきたような業務用の潔さがある。言い換えれば、ある種の清潔感があったのだ。わずかに肌から、ある植物系油脂の香りが立っている。
自分は人類共通の作法に従い、滞りなく行為を続けた。その間、件の連中は、後ろから脇から、写真を撮りまくっている。なぜ拒絶しなかったのかという当然の問いには、しかしながら返答に窮する。連続するシャッターの音も、背後で焚かれるフラッシュも、存外快いものだった。被写体が得るといわれる高揚感なのか。主役である自分たちだからこそスタッフが懸命にサポートしているのだ、という気分にさせてくれる。いままで経験することのなかった種類の楽しさである。
ところが、つつがなく行為が終わり、我に返った自分は、のちに愕然とする。
部屋に入ってきた郭の男から手渡された紙片は、きわめて高額の請求書──十八万何某かの法外なもの──であった。
男の立ち居振る舞いは、まったくもって紳士的で隙がない。うつむき加減のその姿からは誠実さすら漂わせている。
料金システムについては事前にくわしく説明した。それにはこの子が特別な扱いが必要であることも含まれている。あなたの同意のない事柄は、当方はいっさい行っていない。
だから約束どおりに払ってくださいよと懇願するかのような態度から、はめられたと気づいた。男の仕草もシステムも、この店のすべてが周到に練り上げられている。表面がつるつるの、巨大な壷に落とされた気分だ。逃げようがない。文字どおり手がかりがない。いちどきりで十八万。Xさんはどこへ行った。あいつグルなのか。十八万──。
──ただ、料金を七千五百円にするコースもあります。
ややあって男の口から出た言葉に、すがる思いで続きを待つ。浅ましくも、意外な安さに安堵している。なるほど世の中、そういう落とし所があるものだと、瞬間に理解してしまった感が胸先を走る。敵に完全に振り回されている。
──さきほど、スタッフが撮らせていただいた写真と動画ですが、これを弊社で使わせていただくことをお許しくだされば、正規の料金から九十六パーセント引きの七千五百円となります。別途消費税がかかりますが。
ちょっと待て。自分には、家族もいれば眷属縁者も多数いる。おだやかな暮らしに囲まれている。そんなものばら撒かれたんじゃたまらない。七千五百円はたしかに安いが、あの絵を持っていかれるのは、絶対にNGだと即断した。
──あのねえ、あんたら。そういうのは契約して、ちゃんとしたモデルさんを使いましょうよ、ね。きっちりしようよ。勝手に撮ったんじゃだめだろう。そんなやり方があるか。そんなもの絶対に使わせん。
作品の品質を高めるために言っているんだと装ってみたものの、きゃつらはまゆひとつ動かさない。
──では、正規の料金をお支払いください。税込で二十万二千五百円になります。
ちょと待て。ちょと待て。自分には、家族や眷属縁者はいるが、金はない。ないものを取られたんじゃたまったものではない。写真のご利用はもちろん、二十万二千五百円也も、これまた絶対にNGだ。
頭に血が上った。と同時に、ここはきちがいのふりをするのがいっとう得策だと判断した。
自分は、部屋にある扇風機の形をした備品の根元をつかんだ。ずっしりと重いので、かなりの効果が見込める。頭上で振り回しながら、「黒の舟唄」の出だし、「男と女の」部分のリズムで、頓狂な大声をあげるのである。「男と」で一周、「女の」でまた一周。意味不明の胴間声に合わせてこれを何度も繰り返すと、我ながら、ああ、きちがいなんだなあと実感する。
客の態度の激変に、ややひるんだ従業員どもの隙を衝いて、自分はその恰好のまま、遊郭の外に出た。従業員は遠巻きに、それでも追う素振りがある。
男と女の──。だが、出ている声は、「おーこーら」「おーのーら」のような、意味のない発音である。扇風機は回し続けている。これを止めると、リズムもきちがいも維持できない気がしている。
自分の向かった先、敷地の向こう側に道路が見える。通行人がいくらか行き交っている。堅気の世界にもどったような安堵感があった。通行人に見られることは、自分にとって有利だ。追ってくるやつらも諦めるだろう。
そう思った瞬間、空から一羽の鷹が舞い降りてきたかと思うと、自分の右肩を叩いた。鷹は、もうちょっとで声を出すところだったよ、というような態度で、自分を強く何度も叩き続けた。
まあ、そういう夢だったのであるが、この夢が示唆するものは何か、どんな教訓があるのかと問うに、特段、なにもないのである。
はて、はじめに、あれは何の用事で道を歩いていたのか。どこへ行こうとしていたのか。前に何かがあったのか。冒頭からそこまでがすっぽり抜けているのは、まるで生れる前の世界のようだ。
これが初夢だったなんて、自分でも納得できないけど、コントロールできないから。
Update:2016-01-06 Wed 14:41:03

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