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私的 MURMUR
Twitter に書いたのと、ほぼ同じことが出ています。
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かように自分には、小さなものから大きなものまで、現実という実体に違和感をもつ事例がいくつかある。いまもある。この世の真の姿は、絵本などから仕入れたさわやかな空想とは違う。渋くておもしろみに欠け、ディズニーリゾートのメニューとオリエンタルランドの決算書ほども違いがあると思っていた。
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はるか昔、思春期の入り口で友だちから聞いたこと。おい、あの話、ほんとにやっとるらしいぞ。まさかおとながそんなことを本当にしているなんて、うそに違いないと思った。「ゾウとキリンがけんかしています」とでもいうように、渋い現実の実体を知らない子どもが、絵本じみた夢想を語っているのだと。
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児童を前に、黒板にチョークで小さく点(、)を描いて、これは何かと聞くと、いろんな答が返ってくるという。「ハエ」「種」「ほくろ」にはじまり、調子に乗って、世の中のあらゆるものを口にする。同じく、円をひとつ描いて、心臓だとかピリオドだとか説明できるデザイナーとはすごい人たちだと思う。
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Firefoxのバージョンアップが頻繁にあり、いまは、40.0.3。ウェブの背景画像の変更が、リ・リロードではなく、単なるリロードですむようになったのはよかったが、inputタグの表示幅が勝手に大きくなったり、画面保存用のmhtが利かなくなったりして困る(UnMHTで対処済み)。
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高畑勲さん、小林亜星さん、小松政夫さん。まったく失礼な話だけど、「あのひと、もう死んだよなあ」と勘違いすることが多くなった。「最近見ない」ではなく「亡くなった」という嘘の記憶(記事を見るか音声で聞くか)があるのだ。「えっあの人が?」というありもしない経験。加齢によるものだと思う。
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平均余命というものがある。75歳なら12年もある。80歳なら8年、85歳なら6年と次第に短くはなるが、どれだけ年を取ろうと死亡までのマージンの平均値が出る。ならば、そのたびに生きられそうだけど、誰もがあるとき平均に負ける。亀がアキレスに追いつかれるように、いつかは死が背後に来る。
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守株。あれから何度も、あきんどスシローに足を運んだ。が、かの逸品には巡り合えない。赤貧を洗うが如しのやつがれ、ほかの店にはとうてい及ばず。しかし、あれほどのものは、この店しか成し得ない(あるいは自棄売り)との予感も。宝探しよりはコスパと期待値は大きい。俺はこんなに口卑しかったか。
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足の人差し指(これで人を指差したことはまだないけど)が十五センチもあるとは知らなかった。どうでもいいことですが。
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処女がビー玉を飲み込んでしまったあとのような例の表情で、なんであんなことを言ったのか。形容する言葉をうかつに入れてはいけない。受けを狙ったのか。たしかに受けた。ひるおびの進行役とゲストのみなさんに。黒豚「ブーブ」をいただく身のTBSとしては、ここは頭突きをしてでも突っ走りたいか。
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件の五輪エンブレムが使用中止の方向と伝えられた。そりゃ人間は弱いもので、誘惑には駆られるし、隠れたくもなる。旗色が悪くなれば手のひらを反す態度の人も出る。むしろ際立ったのは、ベルギーのデザイナー側からの使用中止要請を「炎上ビジネス」と揶揄した八代英輝さんという弁護士さんでした。
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『第三紀層の魚』を涙ながらに読んだという人がいるのを知り、腰が抜けた。こりゃいかんと『共喰い』を引っ張り出し真ん中で割って、どこだどこだ、泣けるのはどこだと、指でなぞって読み直している。作家の三田誠広氏曰く「小説は、歳をとってから読んだのでは得られないものがあります」。泣きたい。
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国会前に集まった人たちは主役だ。観客ではない。(註)橋下徹大阪市長「日本の有権者数は1億人。国会前のデモはそのうち、ほぼ数字にならないくらいだろう。サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」(中日新聞 2015年8月31日)後日の自分のために、いらん註がいる。
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あのAさん(のちのTさん、いまDさん/多分)が、むかし書いていた掌編で、ある男が還暦くらいで死ぬ間際、襲ってくる歯の痛みをこらえながら、枕元の家族に「19歳からあとの自分は、じつは死んでいるも同然で、妻も子どもたちも本当は愛してはいない」と謝るシーンがあって怖かった。
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いままさに敵地に単身乗り込むサンダーバードの女性隊員が、本部からの「気をつけて」との警告に答えて曰く、「それは相手に言ってやって」。かっこいいなあ。こんなの書きたいなあ。外国の脚本には、こんなすごいのがゴロゴロしている。
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アムステルダムが舞台の昔の映画で、家族でオランダを旅行中に誘拐された娘の安否を心配するアメリカ人夫婦が、現地の刑事とやりとりする場面がおもしろかった。「ああ、同じような事件がこの前にもありましたよ」「それでその子は戻ったんですか」「ほんとどはね」平凡な言葉が、強烈な効果を齎す。
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昔、はやり歌の歌詞の中で、男からの電話に「もういちど生まれかわってめぐり逢いたいね」と独り言つ場面があった。これに噛み付いた坊さんがいた。──じつに憂うべき世相である。親からもらったいまある生を大切にすべきだ。生まれ変わるという考えなど笑止千万である。字面どおりに解釈する律義者?
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降るとまで 人には見せて 花曇り 井月 書いて書かず、書かずに書く。桜についてひと言も触れていない(「花曇り」とは曇天のこと)のに、厚く垂れ下がった雲の下で、熱に浮かされたように匂い立つ、桜並木の鮮やかな色が浮かぶ。雨模様もそれを思案する人も、俳人の目にはとまらなかったようだ。
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「人のふり見て我がふり直せ」という言葉は、仏教的でいいなあと思う。いまある我が身は、己の範囲しか及ばない。己の体内でしか生成できない『謙虚さ』にも通じる。精錬された個人主義か。出だしを『人のふり』とはじめながら、『人のふり』についてまったく触れない。書いて書かず、書かずに書く。
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もしや万一、誰かがこのキーボーを使って『セイキノハッケン』と打ったとき、『世紀の発見』ではなく、『性器の発見』と学習変換されるのを見られたら、恥ずかしい。そこで『性器』と書く必要があるときは、『性質』に続けて『器』と書き、両者の間の『質』を消すようにしているめんどくさいやつ、俺。
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ネットで知り合った、Aさん(のちのTさん、いまDさん/多分)が、むかし『古墳公園』という短いのを書いていて、これも記憶にかかわることがテーマだったけど、おもしろかった。途中で出てくる女の子が、そりゃもう憎らしいったら。話の中に入ってその毒づく口をねじかいてやろかしらんと思ったり。
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