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巨匠と先輩が跋扈するわりと窮屈な世界? 日本人は巨匠が大好物。マーニーと杏奈はなぜ背中合わせなのか。シンメトリー、向き合わないことで非百合、背中を合わせることで運命共同体あるいは秘密の共有、同一性の示唆、垂直のふたりに水平の現実の波。https://youtu.be/-EyD-iKs-vY
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最後に、Believe in Good 。Godじゃなくてよかった。oがひとつあるかないかは、預金通帳の残高の末尾に0がひとつ付くか付かないかくらい違う。タイ生命保険会社のCM https://www.youtube.com/watch?v=cZGghmwUcbQ
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新しいものは何もないベタベタの話。ブラックジャックにも似た話があった。オリジナリティがない。芸術じゃない。そうつぶやきつつも、いま目の前で動く映像に泣かされる。こんなの嘘である。ただの生理現象もしくは、余水。タイの通信会社のCM。 http://www.youtube.com/watch?v=oSVYQVYXn_E
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人が言葉を選んでいるというより、テレビが言葉を選んでいる。汚職や横領をテレビで報じたあとの街角インタビュー。マイクを向けられた中年男女は、判で押したように、「氷山の一角なんじゃないか」「庶民感覚とかけ離れている」「民間会社ならありえないよ」。本当は無名なだけで、おたくら、役者?
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誰かクエン酸の使いみちを教えてほしい。全然減らない。水分を吸って増えているような気がする。
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パソコンやルータ、LANボードには、世界で一意のMACアドレスという固有の識別番号が割り振られている。電話番号とは違い、機械に焼印が押してあるようで子どもじみている。国別、メーカー別の階層構造を鳩首で合議したのだろう。MACアドレスは変更可能ともいう。選んで混乱を招く人もいる。
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誰かクエン酸の使いみちを教えてほしい。気に入らんやつの料理に一杯盛る、とかいう以外で。あと、シソジュースはちょっと。福祉施設でボランティアさんたちがやっていそうだが。とにかく、小さじ半分でも口に含むものなら、床を転げまわるほどの酸っぱさの能力は、できるものなら伸ばしてやりたいね!
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このクエン酸、小瓶と大瓶があって、小瓶は25グラム入りで二百円。大瓶は500で千円。四倍ものコスパの違いに大瓶を買ったが、ちょっと心配になってきた。パッケージには、丹念にシソジュースの作り方ばかり書いている。他に使いみちはないとか? 舐めてみると、人を寄せ付けない異様な酸っぱさ。
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街にレモンがやってきた。シトロンソーダがやってきた。シトロン、シトロン、レモンの香り。春日井シトロンソーダ。この古い粉ジュースのCMで、ずっと私はレモンをメロンと思い込んでました。シトロンとは枸櫞(くえん)のこと。クエン酸のクエン。日本語だった。驚き。薬局でひと壜買いましたよ。
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腑に落ちない現実という実体。海底ケーブル。こんな子どもじみた発想のものが、七つの海に張り巡らされている。考えてみれば、それしかない、そりゃいるわな。何らかの方法で繋がれていなければ、通信はどうにもならんし。それでも距離が距離だけにすごい。日本では明治四年に始まったことにも驚いた。
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ブラックホールを天体と見ること。何でも吸い込む「穴」なんでしょ? どうして「存在」のように扱えるの。素人向けの解説本には、穴のイラストが描いてあるので存在には見える。「ブラックホール近くの事象の地平線では時間と空間が入れ替わり……」人が知らんと思て、でたらめ言うとるな、こいつら。
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腑に落ちない現実という実体。蒲鉾やソーセージなどの食品や口紅などに添加されている赤の色素(カルミンレッド、カーマイン)の原料として使われてきたエンジ虫(コチニール虫)。サボテンに付くこの虫で、本当に世界で千百五十トン(内、日本百二十トン)の赤色二号の代用需要を満たしているのか?
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ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん、マッデン・ジュリアンってなんですの。
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「独断と偏見」というフレーズも息が長い。使わないという自由ならあるが、聞かされたときの対応に困る。いっぺんだれか、叱ってあげて。アラ還あたりの団体役員とか、地方のベテランDJとか、いまだに使い続けていそうだ。
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腑に落ちない現実という実体。リレーショナルデータベースでは、複合キーを候補キーとする場合がある。複数のキーのうち、どれが欠けても一意性を保てない場合、それらをひとつにまとめてキーとするのだ。意味はわかる。フォルダ名とファイル名の組み合わせみたいなものだ。でも、すとんとは落ちない。
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腑に落ちない現実という実体。民法総則第二章法人。財団法人の「寄付行為」を社団法人にいう「定款」と同じこととして解釈しなければならない。第三十九条が準用を指定している第三十七章は確かに定款であって、これを寄付行為と呼ぶことはおかしい。この条文は起草者が酒に酔って書いたのに違いない。
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理科ができた小学生のころの僕は、直流回路の仕組みを知り、知りきったつもりになった。だから切れた回路には電流は「絶対的に・根本的に」流れないと主張した。僕の剣幕に鼻で笑った教師は、交流の仕組みを教えてくれた。ショックで打ちのめされた。この世でありえないものはありえないとすら感じた。
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さて古代錬金術においては、金属を変性し金を生成する過程においてはすべて、賢者の石、エリクシルのステージを、必ず通過しなければならない。この過程を経なかったものは、いくら金を称しようが、すべてまがいものである。アルコールからお酢ができました、などという変化とは根本的に違うのである。
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昔、故松下翁が、記者会見の席で、記者の一人から、それが哲学なのかという質問を受けた。翁は、哲学とは何かと逆に聞き返し、答えた記者に、それならちょっと違うとの主旨の返答した。あのとき記者は「哲学」をどのように説明したのか。つまりは「すぐ人に聞かずに自分で考える習慣のことです」とか?
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東西東西、といっても自分が相手だが、とまれ鎮まれ、俺。どれほど生きても腑に落ちないものが数多ある。物心付いたときから精神の成長の寄る辺であった現実社会──クレヨンで描いていた絵を踏み消して擦り寄り申してきたこの大木が、俺に向かって赤い舌を出す。別に考えなくても生きてはいけるけど。