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この現象を見るとき思う。人は、たとえ八割方、九割方損をしようが、全損だけは避けたい、自分の行動を全否定される結果を恐れていて、カウンターとなる利益(たとえ表面上の形式だとしても)を必要としているように見える。六等賞といった、飴やティッシュペーパーが、じつはおおきに働いているのだ。
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★宝くじを買う人が、番号の末尾を0から9まで揃えようとするので、なぜそんな買い方をするのかと聞いたら、たとえ三百円でも必ず一枚は「当り」が出るからだという。それならどれかひとつの数字に決めた方が効果が大きいのではと言うと「そんなバクチみたいな真似はできん」と返すから訳がわからん。
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不運の正体。盲従することで得られたものの中には、不運とは呼ばれるものは入っていない。むしろ、考えて行動した者のふところに不運が宿る。「選りに選って……」「選んでかすをつかむ」「残り物に福」など、不作為を推奨する言葉は多い。動いて損よりも、動かずに損の方を受け入れる。アパシーの源。
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月を指せば指を認むのは愚かだという。しかし盲従する姿はジャーナリストのものではない。彼はつねにその指を見つめるだろうし、指す先が何者なのかを問い続ける。三者の本来の価値ではなく、関係をいぶり出すのだ。子ども向け漫画のひとコマ。「あの月を見ろ」「きったない爪ねえ」どっちもどっちだ。
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文章や画像を編集しているときに、決まってお世話になるアンドゥー機能。小さな小さな後悔と、かんたんに後戻りできるという安堵。元に戻したい。なかったことにしたい。あの時にかえりたい。しかしこの機能は、人が関わる現実社会には存在できない。そもそもアンドゥー頼みの行動は、それ自体が軽い。
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「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」という発言からは、一体化した(本当はしていないらしいが)「アメリカ大統領」と「黒人奴隷の子孫」を、崇拝と蔑視の観念で切り分けていることが伺える。「大統領になるのに出自を問われない国」という主旨の裏側から剥がれ出た馬脚の燻製。
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県民性や国民性、ある世代に際立つ特徴、ある階層に特有の性質。快刀乱麻を断つような、歯切れのよい言辞は、多く危険をはらむ。自分は無学な大衆のひとりであり、身の回りの例でたとえられ、わかりやすい因果を示されれば、その意図のままに操られかねない。自分の体内で育まれる「納得」が敵なのだ。
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消費税率が8%から10%に変れば、消費者が間接税として支払う消費税額は、当然に25%増しということになる。二年前には、5から8へと60%も増税されたばかりだ。1.6×1.25=2であり、三年の間に税額は倍になる。それを3%上っただの、2%上るだのと伝えるテレビの鈍物さ、小賢しさ。
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たとえば舞台で、金持ちの家に侵入しようとする泥棒にスポットライトが当っている。まっくらな留守宅で、絶好のチャンスのはずなのだが、しかし泥棒は躊躇する。「どうもおかしい。誰もいないはずなのに、千人くらいの視線を感じる」そんな独白を残して引き上げたなら、それはメタフィクションになる。
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漫画の登場人物が自分の描かれたコマ割りを破り捨てたり、アニメの中のキャラクターがナレーターに口答えしたり、小説の主人公が作者を批判したり、ドラマの主役が観衆に語りかけたり。虚構が閉じていないメタフィクションやメタ発言は昔から多数ある。「おまんの筆で、わしの早い人生に追いつけるか」
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親は子の洗脳者になりうる。その場合、子は真理だと確信しているものが、じつはカプセルの内側で通用するだけなのかもしれないとは考えない。洗脳された教師も『常識』を教え子に伝える。カプセルの外側を覗けるうちに、「明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」を読み始める。
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筒井康隆氏は、三十五年前までよく読んでいた。家にある氏の本を数えたら、文庫を中心に四十七冊あった。心を刺した四十七士。幾度も読み返していたので、任意の一行を示されただけで、どの作品のものかを答えることができた。同じ干支、同じ大学、同じ血液型。氏と共通するものを探すのに必死だった。
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不可解な事件に巻き込まれた主人公が、ある目的のためにこの世に姿を現した超越者と出合い、すべてはその人物の為したことであるという事実を悟る。超越者は人智のおよばない能力や特異な言動を示すが、○○には△△△の□□をすべて☆☆☆ることで、●●●はこぐわずかな▲▲だけを■■て★★される。
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筒井康隆「モナドの領域」読了。視点が飛びまくってまさに神の領域かw。主人公に美禰子を据えれば、これは『時をかける少女』の同工異曲。筒井氏自身もエンタメであると断っているし筒井的フィナーレ。それ自分にとっての超越者は『時間』。他の次元に比べこの世における時間の立居振舞は異様である。
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真間手児奈は入水したと伝えられる。古今このような美人・美少女は各地にいたが、大衆は、彼ら彼女らが悲劇的な末路をたどることを望んでいた。佳人薄命などという言葉をあてがわれ、大衆の夢想の中では長生きすることさえ許されない。権威もない弱い者が千金に値することが、よろしく思われないのだ。
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株価の正体とは、将来得べき配当金の総額を原価に引き戻した値 ΣSn/(1+i)^n のはず。PBRがどうの移動平均線がこうのなどと株屋は理屈をあとから付ける。それにしても株のアナリストの勝敗率がトントンなのは笑える。正直なのはよろしいが、これで食えているのが不思議の国の軍師たち。
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くしゃみをすれば、幼児のときのような幸福感につつまれる。もう忘れたのでソースは不明だけど、雑学にかんする何かで読んだことには、くしゃみの瞬間にはからだの全機能が停止するという。幸福感と全機能停止の関係はたんなるシブリングかもしれないけど、前者が後者の必要条件であってほしいと願う。
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教育テレビ「こころの時代『自分』とは何なのか。仏教に迫る」で養老孟司氏が仏教に迫っておられた。あいかわらずおっしゃることが意味不明で、しかしIQが二十も違うと会話が成り立たないという記事を複数回読んだことを思い出し、ならば語り手と聞き手との関係でもいわずもがなと半納得、途中退出。
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★相手は二千円ですの一点張りで折れない。埒が明かない。南無三、ならばと財布を逆さにして銭を落とし、ほれこれだけしかないと開き直るも、気がつけば、財布の仕切りの反対側に大量の万札と千円札がぎっしり。父の仕業との直感がある。そのあとは現金なもので、ほう二千円ね、とっとき給えと高飛車。
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★一計を案じた。ホテルの従業員控え室に駆け込み、大声で呼ぶ。レンタルできるズボンはありませんか? すると若い従業員がズボンを抱えて顔を出し料金は二千円だと言う。財布には千円札とあと三百円くらいしかない。それを悟られるのが恥ずかしいので、二千円は高い、千円にしろと値切るふりをする。