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さくらんぼは、ひとつの容器につき、十七か、十八あった。残った種を指先で数えた。三連休の初日、雨が振ったり止んだりする、明るい土曜の午前だった。それから家族は、津市のリージョンプラザの図書館に行き、ついでに、津の街を描いた絵の展示会を覗いた。いつもと変わらぬ、貴重な日常を得ている。
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大西巨人『縮図・インコ道理教』読了。十年以上前に上梓された作品だが、オウムの検証ものではない。この人が書いたものでなければ読まなかった。「教団に対する国家権力の出方を人が『近親憎悪』という言葉で理会する」という一文の解釈に尽きる。当世、より深刻な意味を帯びているのは、災いである。
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業務連絡もしくは留守番電話、あるいは言いわけ。ともに水を掛けかけたのは、水を掛けたかったから掛けかけたのではなくて、掛けかけたかったから掛けかけただけ。きょうはありがとう。
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町田康『耳そぎ饅頭』読了。というか、この三十篇からなるエッセイ集を、湯船の中で一湯一篇。ひと月以上かかったのだが、口元まで浸かって寝ながらなので、おそらく大方は自分の中の別人が代わりに読んでいるのだろう。読み返してもはじめて読む感覚の箇所が多数あり、一冊で二度おいしいお買い得本。
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敵の屍骸を敵からの弾除けに使う。「日本死ね」はヘイトだと? よく言えたもんだと呆れる。論理的な整合や知識層からの耐性よりも真ん中のマスをつかんだ方が勝ちという、コスパにほくそ笑む態度はあいかわらずだ。弁解の稚拙さよりも、牽強付会が際立つ。この先を考えると、むしろこちらの方が怖い。
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羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』読了。祖父という『スクラップ』への道のり、あるいはそうした人生に抗う、二十八歳の主人公健斗の『ビルド』を対比させつつも、これは通俗の介護小説ではもはやなく、老いも若きも、わき目も振らずひたすら死地へと向かう、人間の肉体に贈る餞別の言葉なのか。
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昔に生きた古代の種も、水をかければ発芽する。燃やし尽くしたはずの、しかし奥にしまわれていたものが、ある日ある朝、目覚めれば、おそらく自分は崩壊する。ドアの向こうにいる人物がだれかによって予感された、狂乱の午後のかわりに、罪もないおだやかな春の日を得たことに感謝しなければならない。
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人間の価値なんて、人によってそうそう変わらないだろう。それぞれの心臓が鼓動して、自らを囲う宿主の命をつないでいる。だけど、ドアの向こうに人の気配があったとき、それがふたりのうちのどちらかだと思うとき、やさしくて気のいい陽気な訪問者の方でないことを、説明のつかない理由で願っている。
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ひさしぶりに「ボケて」に入ってみたが、しらない大通りで立ちすくんでいる。下の言葉を隠して絵を睨んでいても、主旨を要約するような説明文しか浮かばない。すべての言葉は詩につながるから、詩的でないことは、言葉を否定されるようで怖い。自由な言葉を得たい。絵の破壊などという野暮は言わない。
2016-9-7
『ボケて』にアカウントがあるが、恥ずかしくて出せない。http://bokete.jp/
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ピアノ動画part2 [神々が恋した幻想郷] だって。https://youtu.be/DdzsF-FTIyM
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自分は直感に左右されやすい。初対面の直感や先入観は、のちに大きく影響する。本来、人が併せ持つ部分を自分の判断で都合よく分けて収斂させ、その人に貼るレッテルの材料にしてしまう。はじめに抱いた印象と撞着するという小さな痛みを避けようとする無邪気な態度が、巨大な偏見を生みかねないのに。
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ピアノ動画part3 [ナイト・オブ・ナイツ] だって。 https://youtu.be/RWSI0exUnFA
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同様に、幸福は誰にもどこにも見えないのに、その人だけがふと、そこにあると気づく場所にいるようにも思える。幸福は手ぶらで何の力もなく、自身がそう呼ばれることにすら気付いていない。自分自身、ある命との関わりがあり、過去の全肯定は辛い。しかし、それらがくれた花に気づかないのも辛いはず。
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不運とは、思い違いをしたことの結論であり、不幸は、それを嘆きたい者を選んで訪れるのだ、と考えることもできる。「もしあのときああしていたら……」と振り返るときもある。でもそれなら自分はとうの昔に死んでいて、そんな後悔が成り立たないかもしれないし、別の後悔に苛まれているかもしれない。
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過去はすべて、いまの自分の味方であると信じている。いまが幸せならば、かけがえのない人を失いたくないならば、過去を蔑ろにせず、全肯定する。はじめはみんな転んでいた。八回起き上がることができたのは、七回転んだからこそ。夢の中の自分は、過去をわずかに変えたことで、もとに戻れなくなった。
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★部屋の中のものを全部、古いものから順に積み上げると、おそろしいほどの高さになったが、それでもバランスが取れて治まっていた。ただ、途中に挟まった一枚の紙が目について。たかが一枚ごときが影響はあるまいと引き抜いて閲するに、果たしてつまらない××だったが、背後で総崩れの気配があった。
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「虚数はこの世にない、幻の数なんです」先生からそんな話を聞いて数学を好きになりました。という手記を読んだ中学生の自分は、高校生の従姉妹に聞いた。「キョスウって何」彼女はていねいに教えてくれたと思うが記憶がない。ただ墓参りの道すがら、アイがアイがと繰り返すので気恥ずかしかっただけ。
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★○○審査会とか、××委員会とか、公務員の部分集合のような集まりが、図書館に置く本を選別し始めた。本のタイトルとそれが属するカテゴリーで齟齬がある場合、撤去するという。それに反対する市民グループに自分は入っていて、そら怪しからんじゃないかと、説明会のステージに登壇して喚いていた。
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もうこれで何度目か。玉城町の田丸城。下の駐車場近くでは、マガモのでかいやつが六羽ほど、口々に何かつぶやきながら、道路を横断してきた。いつもの上り口を逸れて、城山稲荷神社の北側の、夢の浮橋のような小径を歩く。ひとりぶつぶつ言いながら。