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時間があれば「ボケて」を見ている。時間がないときはだいたい「ボケて」を見ている。ぼくは「ボケて」を見ていないとき以外はだいたい「ボケて」を見ている。「ボケて」を見ているときには「ボケて」を見ているとき以外よりももっと賢くなる。もっともっとボケて、ぼくはもっと賢くなる。もっと賢く。
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世界でいちばんちいさな「いいこと」をしようと思った。自分には、善行と呼べることはなかなかできないから。せめて数の力にだけでも頼りたい。
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Tへ。サミット、おわってよかったね。そいつが君の仕事にまで影響していたとは驚き。きょうははがきをありがとう。成り代って礼をいう。ハートの猫はかわいい。
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梅本克己というマルクス主義研究家の哲学者は、「雑草という草はない」というタイトルのエッセイ(1978年2月 三一書房『梅本克己著作集第九巻』所収)を書いた。雑草ということばの扱いが、学者に無縁の「庶民の思想」という、実体として存在しないものへの作用と同根である旨、示唆されている。
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グーグルで検索しても、「月数連番」という語句も「日数連番」という語句も出なかった。よってこれらの語句は、自分が作り出したものであると宣言する。過去のある日ある月を起点(0)として、いまの月数や日数を整数で表すもので、だれでもやっている。それをどう呼んでいるかを自分が知らないだけ。
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うつ病は、言葉でも感染する。ゆえに電話で相談している相手をも罹らせてしまうことがある。自分はなったことはないが、この病は聞くだに恐ろしい。邦題「羊たちの沈黙」という映画で、囚人のレクターが隣りの房の囚人を言葉でいたぶって自殺に追い込むというシーンがあったが、あれもその手だったか。
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蓮實重彦さんが怒っている。ご自身が三島由紀夫賞を受賞したことを選考委員の暴挙と切捨て、その代表として町田康さんが伝えたとされる講評の内容にも何ら思いはないと応じた。家に蓮實さんの「オペラ・オペラシオネル」があった。図書館でもらってきたという記憶と、ほとんど読んでいないという記憶。
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Tへ。元気そうな様子が文面から伝わってきます。ピアノに合わせて、友だちふたりがやから声で合唱しているようすを聞かせてあげたいものだ。きょうははがきをありがとう。
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正義を振りかざす人の言動は、ルサンチマンに由来するという。正史をはじめ、支配者由来のものは、すべて検証が必要である。夜中に殺された側の事情は後世には残らない。真実が存在することと、それ自体の真実とは関係がない。正義とルサンチマンが対で発生することは、人の世に避けられないのだろう。
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小川知子さんの昔の写真の髪型が川谷絵音さんと似ているのに気づく。お顔をじっと見ていると、エノンとベキの中間の顔のようでかわいい。さらにエノンの顔をじっと見ていると、若いころのはしだのりひこさんのようにも思われ、自分の時間考証とシミュラクラ現象が、いかにいい加減であるかを示して幕。
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きのうのこどもの日。津市内で80万食くらい食べられただろう。この量をひとりで腹に入れるとなると730年かかる。賞味期限がどうのどころの話ではない。自分は弁当箱の隅に追い詰められた紅生姜も丼の底に沈む胡麻粒も、残さず掬って食べる。80万倍の残飯を考えると怖いから。漬物は無理だけど。
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「ツイッターが、これまでの140文字から1万文字に字数制限を緩めることに、ユーザーが猛反発」というニュースはどうなった? 「twitter 1万文字」で検索しても、1月6日付けの記事ばかりだ。自由の拡大がこれほど非難されるとは驚き。でも自分は140でいい。強い縛りは素敵でもある。