2017-1-19
ドナルド・トランプもマザー・テレサも歴史にその名を残すだろうが、その業績は冨とは異なる種類のものなのだ。──コリン・ターナー『あなたに奇跡を起こすやさしい100の方法』(早野依子訳)32ページ目。1999年1月21日第1版第1刷PHP研究所発行。18年後にふたつ目も現実になった。
2017-1-13
ふたりの男が山で熊に出会った。Aは神に祈り、Bは靴紐を結び直した。Aが「足の速さでは熊に勝てないよ」と言うと、Bは答えて「君より速く走れればそれでいい」。目的は「目的」とは別にある。うちテレビは見ないが、久しぶりのムービー+で「イミテーション・ゲーム」。副題のエニグマに惹かれた。
2017-1-11
歴史学が、過去に何が起き人がどう行動したのかを研究する学問であるなら、それが描く長大な物語は、科学的な手法による気まぐれな検証にも耐えるものでなければならない。科学には他人性があり自分自身の誤りをも検出できる。他流試合を禁じ身内だけで修業と宴会を繰り返すよりも得るものがあるはず。
2017-1-11
「ハッピー・バースデイ」僕の父がいった。彼は外套のポケットから一冊の本を取り出して僕に渡した。この四十七文字は自分にとっていちばんの贈り物になる。いちばんの贈り物にしたい。そうするもしないも自分が決めること。礼は言わん。ことばで礼にはしない。最高の教えであったという証明がしたい。
2017-1-11
ことばを使って読み手に感動を与え、それまでの読者を別の人間に置き換え、それまでとは別の世界を作り出してしまうものは、すべて小説といえます。それを脇で聞いていた詩人は、マスクをしたまま腰を浮かす。ことばを使って詩人に勝つことなどできはしないが、彼が無言のままであるという予感がある。
2017-1-9
高橋源一郎「小説教室」。同種のどのものよりも卓越してよかった。読んでは素人に金棒ともならないところが、あたかも仏教(禅宗かな)の何かと通底するような。百人を真似れば、だれの真似にもならない。内容とは別段、物事を引き寄せるためには行動することが大切だと思い知った。有益な体験でした。
2017-1-9
文学と音楽を同時には愛せない。口ずさむ歌謡曲は無理難題を引き受けた下仲人のレポートであり、いずれの破損もなしには成立しない。
2017-1-3
初学者の頭の中に生きるベンサムは狂人である。最大多数の最大幸福が目的ならば、行動は一意に導出され、正義の出る幕はない。しかしながら、正義には概ね偏りがあり、大衆の重量分布は、正義を導き出すための材料とはゆかない。見え透いた破綻を知りながらあえて提示する手法は、古今東西に跳梁する。中の人は三瓶氏である。
2016-12-31
この歳で、除夜の鐘をはじめて打った。近くにお寺が経営している福祉施設があり、例によって大晦日にゴンゴン鳴らしている。いつもは自宅で聞いているのだが、この日ふと思い立ち、新年の十五分前に息子と出かけ、煩悩にまみれた全身全霊でもって打たせてもらった。いくつめの鐘だったのかは知らない。
2016-12-31
新潮創刊一〇〇周年の記念に出された「名短篇」を図書館で借りた。一九三〇年掲載、嘉村磯多「曇り日」を手始めに読む。私小説の極北とされる。とくに(了)の手前、三百六十字からなる段落は驚異に値する。お経のように何度も読んだ。私小説を書くということは、これのコピーを作るという作業なのか。
2016-12-27
ひょっとしたら古墳かもね。そう閃いた俺ってなかなかロマンチスト。ところが北東方向には、西池などというあけすけな名前の古池があり、その名前と位置関係で考えると、この空き地めは池よりも格下ということになる。いったい何の西なのか。呻吟しておる。近くに棲む人に聞けば五秒で解決するものを。
2016-12-27
売り惜しみがごとき高値を付けていた赤や緑のグッズが、割引シールを貼られて通路脇のワゴンセールに居並ぶこのごろ、正確に言えば二十五日の午後、自分は例の正体不明の空き地、事実は、空いているとはとてもいえない有毛過ぎる小山に立っていた。笑わば笑え。ちかく自分は、この正体を暴いてこます。
2016-12-25
イブは極楽湯にと決めていた。この日に正規の料金を支払った客は、後日のご招待券がもらえるのだ。これを一金二湯という。午前中から意地汚く長風呂に耽っているうちに湯に当ったようだ。ようよう脱衣所までたどりつくも貧血状態がひどく、丸出しのまま床に倒れ込んでしまった。これを一湯二金という。
2016-12-22
Y市に住むTへ。Nの進路は決まった。Tの「希望に満ちた未来に、お互い行けるといいね!」ということばが痛み入る。自分は、人生とは崖から飛び降りてからの八十年をいう、などと嘯いてきた。死という大業を成し遂げるための助走期間に過ぎないのだと。ピクシブに登録した。未来を見るためでもある。
2016-12-11
松浦寿輝『あやめ 鰈 ひかがみ』読了。松浦は好きだ。幻想的で腐敗していて。でもちょっと、ほんのちょっとリリカルが過ぎていて。昔に読んだ『花腐し』の中では、芥川賞受賞の表題作よりも『ひたひたと』のほうが好きだった。『ひたひたと』は自分の中では町田康の『ぎれぎれ』と同じ位置を占める。
2016-12-11
ナマケモノは自分の腕を木の枝と間違えてつかみ落ちて死ぬ。ナマケモノが地面を歩く速さは時速0.1Km。ナマケモノが一日に食べる量は野菜8グラム。ナマケモノは自分の毛に生えた苔を食べて生きていられる。ナマケモノに筋肉はほとんどない。ナマケモノは死を悟ると一切の抵抗をしない。ナマケモノは絶滅危惧種ではない。
2016-12-11
ピコ太郎は、AIである。ペンは教えたから知っている。アップルも教えた。ふたつの単語を連結して新しい単語を作り出す技術も伝えた。ひとつ目がふたつ目の種になることも、動きで表現するたいせつさも。身近なものだけを使って見たこともないものを創り出す。空気を読んでいては気づかなかったもの。
2016-12-1
村田沙耶香『コンビニ人間』読了。冒頭の「わたしってこんな変な子どもだったんですう」という取説文がつまらなく、何度も放り投げていた。が、白羽が絡むようになってから俄然おもしろくなり、ページをめくる指が勇む。こんな速読は久しぶり。人間とコンビニ人間との対比はあえて塩辛い味付けなのか。
2016-11-25
尾鷲市須賀利町。行って見たいと思った。82年まで文字どおりの陸の孤島。畑がない。田んぼがない。すべての産業が漁業に集約されている。村のお年寄りは、生れてこの方、鎌も鍬も握ったことがない、みたいな。村全体が釣り場と同義で、魚以外にやることがない。他の選択肢を求めなかった村、なのか。
2016-11-23
嫁が図書館で借りてきた米澤穂信『満願』を本棚から引っ張り出して読む。濃密な六篇からなる短篇集で、どれも終盤での流れがテクニカルに過ぎるきらいを感じたが、大いに楽しめた。『万灯』がよかった。『柘榴』も好きだ。自分の目指しているものと明らかに違う読ませ本。南国の美人に出合った気分だ。