2018-2-24
2月10日アートフォーラム三重2018「触発」(県内在住のアーティストによる展示やイベント)@三重県総合文化センターに家族で。無知な自分だが、二次、三次、動画と多彩で楽しめた。ある作家が作品を前にお話をしてくださった。去りぎわに「また会えますか」と言ってもらったのがうれしかった。
2018-2-24
父は米寿、母も傘寿を迎えて三年になるが、ともに健康にして強壮で、ちょっとやそっとで身罷る気配はない。而してわが身を省みるに、下手をすれば逆縁にもなりかねず、死に際は考えておかねばならない。四半世紀の昔に全身麻酔を施されたとき、なんともお気楽な気の失い方を経験した。あれを頼むわと。
2018-2-24
古より三人旅はするなという。意見が二と一に分かれるからと。だが自分は旅に限らず三がいいと思う。二が出した結論がろくなものではないと一は知っている。三人寄れば文殊の知恵とは、三人寄れば結論を出せないという、あたかも知恵の如し。全会一致では少数への圧迫という操作も想像でしかなくなる。
2018-2-24
大寒の 風と落ち葉に 追い越され 歩幅増しつつ 歳うらみつつ ──自分の中で齢がテーマになっている。歩くだけなのに、分間百四十歩だ、分速百八メートルだ、交差歩きだ、スキップも混ぜるぞ、などとこだわるのも、加齢が寄越す衰えへの恐怖からか。俺は衰えない。衰えないうちはそう思っていた。
2018-2-24
竹林沿いの舗道を歩いていると、風を受けてときおり竹が鳴る。それはたいてい古く老いた竹で、傾いて青竹に寄りかかっている。人間も口うるさくなるのは歳をとった証拠なんだと、そんなメタファーとしてこじつけるのは安手の脚本家のすること。竹は笑い声のように鳴く。風の音の中で立ち止まって聞く。
2018-2-24
金がこれ以上産出されることはないと知れたら金の価格は暴騰するにちがいない。価値のシェアなど人類には似合わない。没後星霜を経て作品が再評価されるのは、画家が地上にある時分に安く買い集めた画商の魂胆によるものだろう。オークションで高額で落札した人物はたいてい非公開である。得心がいく。
2018-2-24
大寒の 夜空を焦がす 恵方巻き 食を経たりて 笑う月かも ──食べました。もらい物の恵方巻き。気は確かかと訝りつつも、新興宗教の揺籃期はこんなものかとひとり納得。だが巷間、それどころではない、イオンのショーケースでは惣菜が左に押しやられて、黒々とした海苔巻きが幅を利かせている。
2018-2-24
県立美術館の県民ギャラリーへ天花寺又一郎氏の個展を見に出かけた。新聞記事によれば、氏は全部が自信作だという。現代アートとは中々六ケ敷いものだと、己の無能にため息が出る。室内では関係者とおぼしき三名が英語で話をしていて、日本語を話すのは我々家族のみ。スワヒリ語で聞く夢物語にも似て。
2018-2-24
詩を書けない人間の物語は、ささやかに始まり、ささやかに消える。日向初美。制作した架空のひと。ぼくは、俺は、あなたが、あんたのことが、お前が、好きだった。好きやった。好きでした。好きです。いまでも、いまも。それだけ。伝えられたらいい。伝えたい。なんとしても伝えたい。間に合うのなら。
2018-2-24
この地上に、はじめに苔が現れたのは、地球の未来を信じたから。ヒトが最後になったのは、地球の未来を信じなかったから。どちらも思った通りになるのだろう。地球は水と緑と砂の星として永らえる。もう少し慎ましく、もう少しゆっくりと、その美しさを乞ういとまくらい、許されたのならよかったのに。
2018-2-24
患者の顔色をいちども見ることなく、IT見本市でモニターを物珍しそうにのぞき込むお年寄りみたいに時間をかけて数値の観察だけをしてござる。彼らは得るべき職業を間違えたのだろう。医師による診断はAIに取って替わられると確信した。医療サービスの受給者がそう願う状況を自分たちで作りだしている。
2018-2-24
患者にはろくにものもしゃべらない一方で、百貨店では連れ合いの選ぶ服飾にくちばしを入れる。こんな人物が開業医をやっていて何やらかんやらの薬を世間に撒き散らしている。お隣のお抱え薬局は、しゃべらん医者の代わりにあれこれのたまうが、悲しいことにひとつも中らん。せめて副作用ぐらいは中れ。
2018-2-24
息子が走っていて膝を痛めたので国道近くの接骨院で受診した。容態と「接骨院」が結びつかず、人づてに評判を聞かなければ整形外科のほうに行ってしまっただろう。愛想こそないが、ていねいな説明と患者への気遣い。これぞ「ひとを診る」仕事だと思った。ここ一年で見た二軒の開業医の例とは大違いだ。
http://www.hatanosekkotsuin.jp/
2018-2-24
ウォーキングの時は雨や寒さよりも車に弱る。路地で背中の脇をすっ飛んでいくワゴンには恐怖を感じる。そこで努めて国道沿いの歩道を選ぶようにしている。完全にセパレートでガードもあるから夜も昼も安全この上ない。野良犬の出る商店街よりも猛獣のいる動物園のほうがはるかに安全なのと同じ理屈だ。
2018-2-24
豆乳のパックを六本まとめ買い。飲み差しを見分けるために、注ぎ口に印の青いシールを貼った。シールはパックが空になるたびに移し変えられたが、最後の一本には不要となるはずだった。ところがシールはそれにも貼られた。シールが本来の仕事を踏み越えて、飲むことを奨励する役割を果たしてきたのだ。
2018-2-24
センター試験の地理の問題で、ムーミンの舞台はムーミン谷だから正答はないとして選択しなかった受験者は失点をまぬがれまい。そのように振舞う者に加点するのは妥当ではない。アニメの舞台が作者の出身国とは限らないという疑念は、バイキングの舞台がノルウェーであるという事実よりもはるかに弱い。
2018-2-24
『青が……』。最後の「神様……」は、その実体は身心ともに才能のある者が無才の主人公に告げた遣る瀬のない心境なのだから(そういう形をとっている)、読者に向かってそれを理解できるはずのない主人公に「代弁」させるという手法は合点がいかん。フィクションであるという言い訳の垣根の外にある。
2018-2-24
『青が……』。登場人物の名前からして季節の移ろいの暗喩かと邪推する。心内を描く解説書とも見まごう濃密さは、いっぽうで一言居士のようなくどさも伴なう。念入りではあろうが、グラデーションのように連続しており、飛躍がないから読者がなまけるのだ。グラデーションは、ときに暑苦しくてダサい。
2018-2-24
町屋良平『青が破れる』読了。物書きの同業者が絶賛している。ひらがなや大和ことばを多用して意識を締め上げるやり方も、たくさんの前例はあるのだろうけど、いまなお美人が出尽くしていないのと同じで、改行のたびに新鮮味を噛みしめている。濃度の高い文章だが、とはいえ感想は時とともに推移する。
2018-2-24
さる5日、第85回独立展(名古屋展)@三重県総合文化センターふつかめ。愛知県美術館改修のため、初の三重県津市で開催の由。同展を見るのははじめて。近所に入賞した方がいたものですから。全国公募の美術展ということだがレベルの高さに驚く。二百号の前で凍り付いてしまったことが何度もあった。