Twitter に書いたのと、ほぼ同じことが出ています。
吉本隆明の「真贋」の中に、ニーチェの残した「歩きながら書かれた文章でなければ読む気がしない」という言葉が出てくる。これを字面どおりに解釈して、「歩きながら文章は書けない。ゆえにこれは過去のすべての文献への打擲なのだ」とひとり納得する俺よ。多数派は高邁でいらっしゃるので歯が立たん。
虚無僧の笛や門付けを聞こうが、頼みもしないのに勝手にやっていること、料金を強要されるいわれはない。一方、ソンタク放送局はネット配信で料金を徴収するという。そのうち忠国ビラをまいてビラ撒き料、街宣車で国民訓話を流して街宣料か。ソンタクからは卒業しましたと、胸を反らす姿が目に浮かぶ。
ひとが戸を閉めて安眠しているところへ、外から益体もない大音量を流し続け、聞こえたに違いない聞こえたはずだとなど言いがかりをつけて銭をふんだくろうとする。なんとか被害を避けるため完全防音に努めているのだが、こんだ人様の持ち物に難癖をつけて払わそうとする。やくざ者以外の何者でもない。
映画「イミテーション・ゲーム」の中にある小咄。ふたりの男が山で熊に出会った。Aは神に祈り、Bは靴紐を結び直した。Aが「熊からは逃げ切れないよ」と言うと、Bは答えて「君より速く走れればそれでいい」。競争社会を端的に言い表している。熊とは何か。ふたりが無事に逃げ切ってはいけない相手。
三月二十四日朝六時、星の形をした氷が朝日の中で溶けはじめた。ぼくはそれを残そうとして、水を払い、丸くなった端を研いでみたのだけど、星は、ますます小さくなった。朝日の中で枕元に残ったものは、いくらかの水と、あの形だったという記憶。一日が長くなってきた。きょうも知らないだれかの命日。
時の総理大臣を指して、とても運がいい人だ、などと語った評論家がいる。「運がいい」は、国政運営への評価にはならない。他方、事大主義においては強運は憧れの的であり、「運がいい」は実質、最高のヨイショ言葉として使われている。権力側にこの言葉を差し出すに至っては、あきれてものも言えない。
小泉政権からこちら、議員が過去の言動を糾弾されるような場面で、返答に窮すると思いきや、逆に「○○するのは当然」と言い放つのを多く耳にする。以前はたいてい「配慮に欠ける点があった」などと釈明していた。これは反省の素振りよりも泰然とするほうが大衆受けをすることを知っているからだろう。
健康のためあらばと、生姜紅茶を飲んでいる。スライスした生姜を蒸し、天日で干して粉末に。ショウガオールの凄まじい香りが立つ。健康のためあらばと、路地を闊歩している。と時折、あの生姜の香りが漂ってくる。はて、自分と同じ習慣があるのかしらと気分をよくしていたら、春の便り、沈丁花だった。
Dans la bulle
de savon le jardin n’entre pas.
Il glisse autour.
シャボン玉のなかへは 庭は這入れません まはりをくるくる廻つてゐます (堀口大學)
ジャン・コクトー「シャボン玉」の、うす気味の悪い名訳。ウィキペディアによれば堀口大學、慶大学年末のフランス語の成績は不可だったらしい。
★大釜のある竈のぐるりには、数名の女性が意味もなく坐り込み、年をとっていた。そのひとりが、あんたがまたここに来ると思ってたよ、という意味のことを言った。自分は、いつものやつ、といったふうに注文した。いつものやつ、が何かは忘れてしまっていたが、老婆のためにもそんな素振りは見せない。
★東京の表層はすっかり変わったが、見覚えのある路地も残っていた。そういうところが東京の良さだと思った。路地を歩くうち、当時も同じように過去の東京を思い出していたことに気づく。それは、路地の突き当たりで左に折れる角に、古くから居座る大釜を設えた竈で、現存していたことが自慢に思えた。
★病院の検査室で、天井から素っ裸で垂直に吊るされ、身体の検査を受けている。ふと手の位置にある天井の蓋が上に開き、配管が見えた。縛られた手を伸ばして触ってみると漏電の感触があった。それを部屋の医師たちに告げるのだが、みな首を振る。試したひとりの医者が感電したのを見て愉快だと思った。
吉野源三郎「君たちはどう生きるか」。いまはマンガ版も出ている。初出は昭和十二年。読者として想定した、当時十五歳の男子(数年後の太平洋戦争に駆り出された世代)は、もう死んでいる。後半、ナポレオン賞賛の行間に軍国の愚かさの示唆がある。真に書きたかったのは、ギリシャ文明の東征の事実か。
AIによる不老不死。──わたしの肉体がなくなっても心は残しておいて。無茶をお言いでないよ。ところが、そうばかりでもなくなってきたらしい。クラウドに上げてネットで共有。AIによって青白く成熟し、あるいは渋く老成るとか。十年前に癌で他界した父親と進路の件で相談、などが可能になるのか。
まわりは自分より年下か、そうでなければ老人ばかりになってきた。知らない人は若いままなのに、知っている人だけがどんどん年をとってきている。加齢とは錯覚でもあると見つけたり。十九歳の日記に、おれは年をとったなどと書いてある。三十三歳のころにも同じ記述がある。加齢による錯覚に違いない。
横浜のTよ。おれは安定した。体重は11kg減ののち底を打ち、二十歳の値に戻る。血圧の代表値は、朝・晩ともに 106/64。先日、ハゼバアと買い物したさいに燕麦を買った。これはオートミール、カラス麦と称す。子どものころ、畦道沿いで蹴飛ばして歩いていたあの雑草と同属の植物を、いま、ありがたく。
もし遺伝がその語意、本来の意味するとおりに作用したものなら、折衷を繰り返して、みんな似たり寄ったりの顔になるだろう。つまり遺伝とは、遺伝するという現象と、遺伝しないという現象を同時に指し示す語である。他にも退化も進化の意を含むという。命って不思議だなあ。S鳥居角瓶のCMではないが。
あるGSからメール: 本日、3月11日(日)のビッグセール開催ですが、只今、大変大混雑し(中略)ご迷惑が掛かっており、また事故なども発生致しております。(中略)明日、3月12日(月)も、本日同様の価格(125円)にさせて頂きますので、何卒、ご来店を控えて頂きます様、お願い申し上げます。
どうして車のドライバーは愚鈍に映るのか。止まろうが運転しようが、時間当たりの処理能力は変わりがなかろうに、路傍の者からすれば、相対的な移動の単位長あたりに捌く能力の程度の方が切実で、たとえば十メートルを進む間にほとんど何もできない運転者という存在は、知的水準が低く見えるのだろう。
「改竄」の二文字を「書き換え」と書き改めたのか。財務省「森友文書 書き換え」という新聞のタイトル。いつのまにか、言葉がすり替わっている。「改竄」は常用漢字ではないため、「改ざん」と平仮名にする必要があり、紙面でのインパクトは強い。忖度とは、新聞社においても、もはや「配慮」並みか。
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