これは夢ではないかと幾度もいぶかり、そのたびに否定した。どちらでもいい。あれほどのリアルは夢とは呼ばない。台所で日向を抱きしめた。強く、ハグより強く。子どもが音大に進んだと言っていた。いまでも好きだと言えますか。そのひとは本当に日向なんですか。「おい誰なんだよ もう知ってんだろ」
不調法の身の上なればこそ文で酔わんとす。仕事の合間、ぬらぬらと古酒を口に含むように、町田康「屈辱ポンチ」を読み進めている。上梓は20年前だから町田36歳での作。図書館の書庫から出してもらったそれには、前にはなかった臭いが付いていた。まずは「けものがれ、俺らの猿と」。36歳町田の出色の。
案の定。といっても、そうはならぬ期待もあったのだが、ゲストに町田を呼んでの対談(または鼎談)は、純粋マチーダ論ではなく、近作の話題に終始するものだった。96年のデビュー作に続く12年間、40±6歳のころの作品が衝撃的なのであって、とくに近ごろの長いのはいけない。加齢による不始末なのか。
作家町田康氏の劣化を案ずることはない。かつて彼であった彼は、四十代のある日、泉下の人となったのだと思えば納得できる。アラフォーでの作品はすばらしかった。胸にしまっておくよ。来週の金曜日、高橋源一郎がラジオに町田を呼ぶという。きっと自分は聞くだろう。氏の記憶を語れる大切な人だから。
順延になった運動会が梅雨空の合間になんとなく開催された。その日校長は欠席。掲揚と斉唱は校旗と校歌。選手宣誓省略。競技は午前中で切り上げ。そういえば先の遠足は私服。京都の地に降り立ちながら訪問先なし。長い自由時間。生徒を縛らずに自由を与えることで自ら決定させようとする校風が伺える。
息子が遠足で京都から帰ってきた。平安神宮から清水寺まで4時間のフリータイムがあったという。どこへ行ったのかと聞いたら、水族館などとシュールなことをぬかす。京都で水族館? 調べてみるとほんとうにあった。2012年開業の内陸型水族館。スシローでステーキやワインが流れてくるより衝撃的。
午後十一時十分。とうに昇っているはずなのだが、東の水平線は月の気配すらない。対岸の明かりが漁火のように海面を照らしている。薄い雲であっても、あの光の入射角では、遮られてしまったのだろう。月が出ていれば、この漁火は目に入らない。結果がすべてだと自分は思う。疲れたので行程を端折った。
ふはは。溝そうじは二十分で終了。ウォーキングのあと、鈴鹿方面に家族で出かけた。ツタヤをのぞいてから、業務スーパーで食料品を買い込み、くら寿司という店で寿司をつまんで帰宅。きょうの月は、きのうより四十一分おそい。東を見て待つつもりでいる。歩くときはひとり。夜道はひとりのほうがいい。
ひとり夜道を歩きながら東の空に目をやり、十六夜を過ぎた月の出を待つ。南中のころには日付も変わろう。世に確実なものがある。日も月も時の流れには逆らえない。森羅万象、世に存在するということは、時の流れを受け入れているということ。今夜はどんな夢を見るのだろう。あすの朝は町内の溝そうじ。
★忍びの身である自分は、世話になった小大名に用件を伝える特命を受け、夜を日に継ぎ山野を走り抜けた。ところが謁見の場で伝える内容をど忘れしてしまい、緊要の情報と告げた手前、辻褄合わせに思案した結果、真田の内紛もしくは真田と徳川の間で戦の気があるなどとでっちあげて大儀に扱われている。
さて自分は、昨夕、今朝、この午と続けて、家内の作ったハンバーグを食しているが、体は別段なんともない。このハンバーグには例のパン粉が少なからず練りこまれているにもかかわらずだ。ふたつ目にはちょいと箸がためらうが。もう安心していいのだろう。そして家内には謝罪と感謝をすべきなのだろう。
これは去勢のことだなと思った。去勢への願望(子ども時代の性差への不快感から)と、恐怖(加齢により強いられる不能)を同時に暗示している。女子の群れから袂別を食らった幼年期。男性器周辺に対する嫌悪。体況や知的能力の減退。まあ、それらが一本の毛虫に仮託されるという事情も納得がいかんが。
★蔵の中で古い箪笥を見つけた。抽斗に金属の取っ手があり、小指ほどの毛虫の先がくっついて水平に伸びている。気味が悪くなった自分は、大型の鋏でもって毛虫を取っ手との境目で切り落とした。すると下に落ちた毛虫はみるみるうちに膨れ上がり液体を放出して、攻撃性を増しているようで恐怖を感じた。
人ハパン粉ノミニテ生クルモノニアラス。御意。大衆には、観戦やゴシップは欠かせない。さて、向後生涯にわたり、パン粉を忌諱せんと決意した自分ではあるが、原点回帰もまた必要だ。そも事件の発端は何か。パン粉は人の世に欠かせない。ならばこそ作られたのだ。パン粉にけちをつけるのは俺が許さん。
人間というのはね、正直が一番だ。どうだいハスヒさんよ。ここはひとつ、正直に言ってみちゃあ。ありゃパン粉なんかじゃないんだろ。ほうら当りだ。いやいやいやもういいんだ。何も言わなくっていい。お前さんの顔色ひとつでわかるんだよ。事情があるんだね。思案は捨ててくれ。俺はピンピンしてるよ。
この短文を書けるのもきょう限り。なのかも知れないし、あるいは、夕食に出たトンカツの二枚目に箸を伸ばして食べ過ぎをたしなめられるという絵で済むのかもしれない。ひとえにこのパン粉とされる物質にかかっている。嫁がどうしても食わそうとするなら断ろうと思う。そういう遣り口はしないだろうが。
嫁が医院から帰ってきた。おずおずと袋を差し出す。「あー、ハスヒさんて女の人から、パン粉だって」と気のないふうを装いながら、嫁の表情をためつすがめつしてみる。「ああそう」と自然体過ぎて怪しい。いま気づいたのだが、家内の顔つきが出発前と少し違って見える。あれは俺を駆除する薬物なのか。
見かけと内容が一致するのかどうか。早い話が、どだいパン粉なのかどうかの一点に尽きる。こやつは食に供するという自らの性質を衒うため、真相を見極めるのはむずかしい。確かめたとたんに中毒死するとあってはかなわない。街で捕まえたハスヒに聞き出したとしても、パン粉だとしか言わないだろうし。
しだいに不安になってきた。これを知った家内はどうするか。帰宅するなり、何これ。なんで受け取ったのよ、もう。などと騒ぎ出すのではないか。これまで累積した不満が特異点に達し、パン粉袋ひとつの重みで天秤が軋み出すのではないか。パン粉で離縁と相成るのか。そもそもあれは本当にパン粉なのか。
午前九時四十五分、ハスヒですが、とか名乗る年配の女性が玄関に現れ、ゴム鞠ほどの大きさの袋詰めを手渡してきた。パン粉だという。家内はまともなほうの医院に出たあとで、ここは思案するところだが、われ知らず手が出ていた。去りぎわの女性の不安そうな顔つきが気になる。ふくみ笑いでも怖いけど。
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