Twitter に書いたのと、ほぼ同じことが出ています。
──なにせ自覚症状がないものですから。──エビデンスは? 多くの医者はこれらの言葉に反応する。患者の蒙を啓かんと声高になるのだろう。自覚症状がないたって、悪化するのがよくないのであって、かりに身罷るまで「ない」が続くのであればハッピーなんですけど。嫁はその態度を不遜だなどという。
最近、ぐうぜんに窪田順生さんというノンフィクションライターがいることを知った。ITmediaというサイトの「スピン経済の歩き方」というコーナーで記事を書いている。読んでいると、共感できる部分が多く、爽快感に満たされる。自己肯定感や追認がもたらす快感。それは危険の始まりとも言える。
裁判官という仕事はつまらん。わが邦家のあらゆる職業人のうち、期待されるスキルと成果物との隔たりが最も大きいのは、裁判官ではないかと思う。この職業に向けては「(正義を)期待しなければならないが期待してはいけない」という自家撞着が群を抜く。医者さんも大概なものだけど、それにも増して。
地裁の決定で止められていた原発ですが、高裁の判断により稼動できるようになりました。中立を装いながらそのじつ忖度きわまりない茶坊主放送局のこのような物言いは、原告のひとたちや再稼動に不安を抱くひとたちは決して使わないだろう。このアナウンスは関電側の謂いである。まさに「お里が知れる」
動物にしろ植物にしろ、可食部分を独自に定義し砕いて再整形したもの(練り製品、飲料、麺類、パン、和洋菓子など、要するに粉モン)は控えようと思っている。これらは製造過程で大がかりな加工を受けるため、失うものが大きい。食品会社の言いなりで、しかもおいしい。できれば原形を食らいつきたい。
散歩の道すがら、コースをちょっと変えてみると、田んぼの脇で彼岸花が西日を浴びて妖しく固まっているのが目に入る。何かたくらんでいるようでもあり、健気に肩を寄せ合って秋の彼岸を寿いでいるようでもある。いつかその色が枯れてなくなったときに、自分は気づくだろうか。あす日向と同い年になる。
ギャグ漫画などコミカルな絵が成り立つのは、人の典型的な仕草や習慣を前提としているから。親子や男女の役割分担として描かれる場面で多く、総じて保守的なものとなる。見た瞬間に理解できるのは、差別されている対象だから。縁日で家族の食事を調達するのは女性で、夕餉の卓袱台で子を叱るのは父親。
己の行動の指針は、(A)自分の利益になるもの、から、(B)他人の迷惑になるもの、を省いたものとする。「日傘を差して散歩する」は、A∩!Bだから○。「裸で散歩する」は、A∩Bで×。「歌いながらで散歩する」は、!Aで×。世に違法なA∩!Bは存在しうる。愚かに生きることは罪なのだろう。
読者は、小説の中で自分の居場所を求めている。どこにいるのか、作者には気づかないけど。校舎の角からのぞいていたり、登場人物の斜め後にいて聞き耳を立てていたり、語り手の指差す方角をいっしょに見上げて頷いたりしている。俺よ。読者の得る印象を軽んじてはならない。その人は主役の一部なのだ。
まず外見が中身に作用する。行動することで、それに見合った心が形成される。国民一斉の黙祷から、メダリストの凱旋パレードから、一体感というかけがえのない体験を得る。見慣れた外見が他のものにすり替えられても、涵養された熱い心には、見極めができない。みんな戦争には反対だと言っていたのに。
青山七恵『お別れの音』。六篇からなる短篇集。あの「役立たず」を五番目に含んでいたので期待は大きかったが、回収率は半分程度。この人は長篇のほうが向いているのかも。ただ、男性目線で語る「役立たず」は際立つ。キーパーソンである弥生のことを、おそらく自分は知っている。切なく、しかし快感。
石井遊佳『百年泥』。ストーリーの巧みさは「きれぎれ」風。リアルとファンタジーの渾然一体。文学女史が起草したような冷笑的な比喩や修辞は後味がくどい。かつて僕たちは、流行が廃れることを『絶滅』と呼んだり、先輩OLからの誘いを断ることを『避難』と称したりしておもしろがったものだったが。
阿波踊りをめぐり、主催の実行委員会と一部の踊り手グループが対立、13日夜、徳島市長の再三の中止要請を無視して「阿波おどり振興協会」が「総踊り」を披露したという。感情的に反発して阿波踊りを踊るという、シュールな図が笑える。「コンチクショーめ見る阿呆が」「あほんだら踊る阿呆が」とか。
若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』。おひとりさま入門講座みたいであるが、経験した者が得る心情があるらしい。主人公桃子さんに二人三脚で寄り添うことはせず、将棋の駒を箸でつまんで指しているような潔さも。もっとも、非該当の人間にとってみると、さほど心を奪われたりはしないのではと思う。
看護婦という単語はタブーとされ、使えない。東京オリンピック、と発言したあとは、「・パラリンピック」と続けなければ放送界から締め出される。ふたつが前後することも許されない。「女男共同参画」という語を使えないのと同じ。差別解消のためには、繰り返される形式という外観は大切だけど、重い。
「あなたの夢は何ですか」など、日本語の体になっているが、本来、「夢」には、将来の希望などという意味はない。夢とは睡眠時に得る幻覚のことで、「夢をみる」はそのことを指している。夢想と空想という似た外見の垣根が外れて交通し「夢(幻覚)をみる」→「夢(希望)をみる」に変化したのだろう。
男女差別は副次的で、募集要項にもとる不正選抜が続けられてきたことが問題なのに、「女性が活躍する機会を奪った」とか「医療現場の現状からすれば止むを得ない」など、同意を得やすいことばをマスコミが撒き散らして溜飲を下げさせている。うまく誘導できたと壁に耳を当ててほくそ笑む者がいるのだ。
本質は、東京医科大が、公正を装いながらその裏で、特定の性を優遇するという詐欺的で不正な合否判定を行っていたこと。「妊娠、出産は当然の権利なのに」「性別を理由にした差別は許されない」との憤りの声は、募集要項で「合否判定では女子を理由に減点する」との記載があった場合にこそふさわしい。
正常性バイアスとは、正常であれ異常であれ、日常を維持しようとする働きのように思う。つねに精神的な慣性を伴っていて、断絶する状態に出くわすと、その前後を足して二で割った状態を得ようとするのではないか。思わぬ僥倖や突然の不幸など、緊急時の避難と同様に、適切な即応がとれないのだと思う。
副作用という言葉をあちこちで聞かされてきた。薬理の機序に作用も副作用もあるかい。特定の側の人間にとって都合の悪い作用を「副作用」などと名付けた袋に詰め込んで、表舞台から脇に押しやった。損保の免責(不払)約款のように、いざとなればベテランの脇役の風情で顔を出す。薬害も作用の一種だ。
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