Twitter に書いたのと、ほぼ同じことが出ています。
子どもへの虐待や、あおり運転が増えたように伝わる。観測数や報道数の増加もあるだろうが、実数の増加もあるに違いない。それは連日マスコミで取り上げられているから。人でなしと言われようと凶暴だと誹られようと、前例がある、自分だけではないという認識は、日本人の行動への決定的な触媒となる。
若い人たちは、反撃の手段として「はぁ?」という言葉を手に入れた。すこぶる有効であると思う。日本人は同調を好み、孤立を嫌がる。あまつさえ他人にも強いる。こんなことをするのは自分だけだ、自分は的外れなことを言っている、共同浴場から出ようとしている。それを示唆する「はぁ」は、効果覿面。
生活習慣や言葉の習慣によって人なら容易に理解できることが、空気を読まない論理的なAIにはむずかしいこともあるだろう。関係代名詞を持たない日本語をもちいて、AIに語りかけることができるのか。「離島」とは、島を離れるという意味ではない、島と陸は違うのだと、人生経験を披露するしかない。
八月二十八日、日向の夢を見た日から、髭を伸ばしている。自分は若いころから鼻の下側にはほとんど出ず、口元に固まった生え方をして汚らしかったので、いつも挫折していた。今度は本気でやる。鼻下の髭は口元の韜晦。自分から見た己の韜晦。しかし、鏡を見る回数が前よりも増え、自己への執着も増大。
梨木香歩『f植物園の巣穴』読了。自分探しの異界譚などでは済まされない。世に対して、斜にかまえて微をあげつらい、わかったつもりになっている還暦の男を泣かせてくれるな。だけど、たしかにいるはずの、別な読後感を得る一群の人々をおもう時、いよいよ小説は読者に依存するものだと、改めて思う。
思い返せば、磨り硝子は、先生と呼ばれるひとの周辺に多かった。先生を待っている。いる気配があるのに姿を現さない。戸の向こうから、おほんおほんと咳払いの音がする。百ワットの灯りの手前に人影が回ると、影が拡大されて磨り硝子を塗りつぶす。先生は準備中なのだ。醗酵して化けている最中なのだ。
最近、近鉄の上り(名古屋方面)と下りとで、列車が通過するさいの音が違うような気がする。上りの電車だけから、カランカランと甲高い不穏な音が伝わる。さらに耳をそばだてていると、どうも拙宅の真向かいに位置する特定の継ぎ目を通るときだけ聞こえるようだ。通報しようか。決して暇ではないけど。
「面白がるよりも楽しめ」でも「楽しむよりも面白がれ」でも、えらく変わりはない。似たふたつを提示して、片方を否定し、他方を肯定すると、あたかも真実を語っているかのように振舞える。生徒の時分から「修学旅行は遊びではありません」と聞かされてきた。担任ではなく帯同される校長の台詞だった。
故加藤典洋さんは、一般的な書き物の作法を述べたのだろう。しかし、主人公と作家の分身である語り手についての関係は語り尽くされている。新人のデビュー作だから侮ったか。この作家は語り手を借りた読者への説明を意図的に省いている。「この主人公ったらねえ……」などと思わせるト書を省いている。
少数の知識層からの蔑みがあっても、勢いにほだされた馬鹿の票が入ればいいとする態度が、いよいよ顕著になってきている。見下されても金が入れば、金目のものが転がり込めばそれでいい。それは娼婦の打算。ごみを資源と評価する行為とは似て非なるもの。政治家がそれをやるから「恥を知りなさい」だ。
自分は、どの神も信じてはいないが、超越的な存在は意識することがある。それは『時間』です。水の次の一滴を垂らすにも時間がかかるし、宇宙の生成にも素粒子同士の結合にも時間は関与する。時間はあらゆる現象を支配下に置くように見えるが、じっさいは中心のない円周に並ぶ要素のひとつなのだろう。
今村夏子『星の子』読了。初出は一昨年。生まれつき病弱な主人公と、その平癒を契機に次第に宗教に傾く両親との微妙な関係を、思春期までの時系列で描く。書くべきもの書いている。べき、以外に何かあるのか。先の、こちらあみ子&ピクニックには及ぶべくもない。選考委員は八年間も何をしていたのだ。
「B型のひとって、型にはめられるのが嫌いなんだってね」「え、おれ、B型だけど。型にはめられるの大好きだよ」「あ、やっぱり」。自己言及のパラドックス。例の「本法ハ国有地ニ之ヲ適用セズ」のあれ。「文章にとって副詞はしばしば有害である」という自己言及的な文からも副詞の有害が実感できる。
恋(LOVE)と愛(LOVE)の区別もできないなんて、英語圏の人はお気の毒。コンパスの性能次第で真円が書けると思っている人たち。恋は架空。時空を超えて無限大。人生に有害。だれにも気付かれず、自身のうちにある。愛は実体。人生に有益。言葉で表現しうる。量を認知され、評価の対象になる。
名言だって? いくつかの単語を寄せ集めて他人の人生を語るという発想と度胸は買うけど。自分自身にとって、自己肯定感を得ることなど造作もないことです。人の目が遮断された場所で、善だと思える行動をとることです。いま自分のことを書きました。人のことはわかりません。わかる御仁もあるらしい。
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