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私的 MURMUR
Twitter に書いたのと、ほぼ同じことが出ています。
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「スローガンを与えよ。この獣は、さながら、自分でその思想を考えつめたかのごとく、そのスローガンをかついで歩いてゆく」(埴谷雄高「幻視のなかの政治」)。今ネットで「スローガンを与えよ」でネットで検索すると、出るわ、出るわ。埴谷さんの言ったとおりになっている。あ、俺も。
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久方ぶりの歯科治療を、今回はじめてお世話になる津市白塚の樋口歯科で。最高の歯医者さんでした。虫歯を退治するというより、それをお口の中に持ってしまった人間と治療について話し合うという姿勢をお持ちのようでした。治療以外でも、物腰や言葉遣いなど、滲み出るものを勉強させてもらいました。
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レンタルサーバーのXREA.COM がPHPのバージョンアップを、m系に続き、s系にも実施していますので、前から非推奨となっていた関数を全面的に入れ替えました。見た目や操作感は従来とまったく変わりがありません。
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シェフは何を食っているのか? 小説家は何を読んでいるのか? 後藤明生は、小説を書くためには小説を読まねばならないとする一方で、小説を書くために知識を得ようとするのは自分のタイプではないとも述べているらしい。虚構を築くなら知識はむしろ邪魔。ありえないからこそ、相棒、古畑任三郎。
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又吉直樹さんは、三年ほど前に出した「第2図書係補佐」という文庫本がおもしろかった。書評というより、読んだ本の筋書きに似たエピソードを回想する内容で、実態は自分史本。「他人の書いた本の解説や批評は、自分にはできない」との前置きが利いている。これで「原稿用紙の升目」は全部彼のもの。
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むかし、予言めいたことを得手とする上司がいた。窓から外を見上げて「このぶんじゃ、午後は雨ですよ」とか、「論功行賞人事はむしろ混乱を招きはしないか?」とか、「逆に与党側が歩み寄るということも考えられるねえ」とか。みんなその日の朝刊に載ってた、ての。アサッテ、じゃなくてオトトイの人?
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みんな自分が大好き。人の意見など聞いていない。突っ込みどころ満載の穴だらけのコメントが記憶に留まりやすいのは、聞いた瞬間に突っ込みが浮かんだ自分に萌えるからだろう。完全無欠・理路整然では、「……、はいなるほど。」で切られてしまう。ゆえにあえて焦点を外して断言する輩が坊間に添はる。
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政治家にはあっても官僚にはなく、医者にはあっても弁護士にはなく、役者にはあっても棋士にはなく、F1ドライバーにはあっても短距離走者にはなく、社長にはあっても監査役にはなく、小説家にはあっても漫画家にはなく、梨園には満ちているが農園では枯れているもの。その正体は世襲。世襲。世襲。
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「外観が大事」は大事。スイッチのオン・オフ、当選券と外れ券、接戦の大統領候補者、すれすれの合否判定など、世の中には背後にある工学によって、零か百か、両者間のボラティリティ(値の変動)が高いものが多い。多くのものを失っている気がする。豚は死んでポークやハムになる。消えたりはしない。
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「じゃあ、お宝は明日の朝、ふたりで山分けだね」約束を信じて高いびき。正直者に朝はやって来なかった。嘘つきの方はのちに王を名乗るのだろう。嘘を固めたものを正史としてばらまくのだろう。霜降り肉のように、ときどき細切れの「事実」を差し込んで、民衆が大好きな味に仕上がるのだ。
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「雑草という草はない」というフレーズは、1974年に亡くなった梅本克己という哲学者の書いた同名のタイトルのエッセイ(1978年2月 三一書房『梅本克己著作集第九巻』所収)に出てきます。このフレーズ、ネットで検索しても、哲学者はなかなか出てきませんが。
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この人は正確に話しているいるな、と思わせるには、近い事柄のうち、一方を肯定し他方を否定する。「殺したい人はいないけど殺してみたい人ならいる」「それはただの戦術であって戦略ではないんです」「それは勇気とは呼ばない。ただの度胸だ」「修学旅行は遊びじゃない。正式な学校行事だ」
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この人は真理を言い当てているな、と思わせるには、「あること・ないこと」のうち、「ない」側寄りを狙って断言する。そのあと、別の語彙を用いて断言する。例外はひとつも認めずに、すべてこじつける。
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カンニングがユーモラスに描かれる不思議。ルールに追従しながらこっそり破る卑劣さ。暗記が無意味なら空欄で出せばいい。「悪いのはそんな隙を与えた大人の方です」という識者がいた。芸名にしている芸人までいる。これならセーフだとなめている。「淫行○○」や「覚醒剤○○」ではまずいらしい。
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「課長、コーヒーはお好きですか」新しく入ったコーヒーサーバーで淹れたコーヒーをお盆に載せて社員が尋ねる。嫌いな人に出すのは失礼だからと真面目に考えている。相手の内心や属性を言葉で引っ張り出そうとする行為が失礼なのであって、ここでは「いかがですか」が相当でしょう。
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副詞は文章を濁す。副詞の有害性は、「文章にとって副詞はときに有害である」といった、再帰的な一文からも体感できます。テレビ局の中の日本語は、副詞がとんでもなくまさに奇跡としか言いようがなくカリスマ来日ママ友トラブル会場大爆笑力士号泣あの超大物女優が激怒全米が泣いた的に使われ過ぎ。
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「おや?(独白)」「なんでも……(聞いた話では)」「あたい(わたし)」「早くおし!(早くしろ)」「本当のことをおいい(本当のことを言え)」「でがす・ざます(です)」「じゃが(だが)」「どうしてここに?(『いるの』を省略)」とかの台詞。伊勢湾西岸の住人には奇異に映る。
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「ドアを開けた彼女の目に飛び込んできた異様な光景とは……」【CM】「それに彼女が触れてみた次の瞬間」【CM】「そのとき意外なものによる奇跡の救出劇が。その意外なものとは……」【CM】「冷蔵庫に入れておいた蛸が生きていて手に巻きつかれたが猫が飛びついて助けてくれた」という程度の話。
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「そちらは朝からかなり雪が降ってますか?」「ええそうです」といった、報道によくあるやり取りは聞きづらい。まともな日本語なら、「そちらの天気はどうですか?」「こちらは朝から大雪です」でしょう。
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人を好きになれば、そのあと、もっと好きになるだろう。なぜなら、相手も同じことをしてくるから。いいか悪いかは別にして、この世がどんなものなのかは、どうも自分が決めているようだ。
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