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私的 MURMUR
Twitter に書いたのと、ほぼ同じことが出ています。
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架空の話だけど、もし世界中で「銃を手渡してきた相手を撃つ」という習慣が出来上がれば、結果、誰も死ぬことはなくなり、その意味で世界は平和になるという逆説。そういう話は、形を変えていろいろ企てられるだろう。「核施設だらけの場所は安全だ。やつら、危なくて空爆などできなくなるから」とか。
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PCの電源を冷却するファンの音がうるさいので、二極のコネクタを抜いてやった。熱をもってはいけないので、ときどき思いついては息を吹きかけている。
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下戸だけど、深夜に起き出して飲む炭酸は好き。電気をつけずに階下に降り、冷蔵庫に向かって忍び足。そのとき素足が何かを踏んだ。濡れた部分を手ですくって匂いを嗅いでも所見なし。明かりをつけてみると、潰れたゴキブリだった。逃げ惑う彼の最後の足跡と、俺の三歩目が、時間と空間で一致したのだ。
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スチールの薬缶で湯を沸かし、即席コーヒーを飲んでいた。飲み終えてカップを見ると、底の輪っかの中に、鈍く光る茶色の塊が張り付いている。煮干の頭かと思ったが違った。ゴキブリの子どもだった。薬缶の口から侵入したが出られなくなり、煮出されてしまったのか。合掌。せめて浮かばれてほしかった。
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悲しいこと:駅弁食べ終わる前に目的地。割れていた不二家ハートチョコレート。後出しであいこを出してしまうジャンケン。行人偏の付く漢字が五つしか浮かばない。ただひとりの客が、うなづきながら聞いてくれるライブ。余命半年の宣告よりも、あわててスケベ動画を全部処分したこと。余命は四半世紀。
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自分で言葉を作って喜んでいる、56歳の中二病。「燐の炎は水では消せない」「さなぎは羽化するまで、そう呼ばれる」「不幸は、それを嘆く者に訪れる」「影をなくすことは、光にはできない」「知っている人だけが年をとっていく」「140文字の制限は、世界を変える前に、内容自体を左右しかねない」
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四十四年前の初夏。潮風が寄せる丁字路の先で、きみが頬を赤らめる仕草を、十二歳のぼくは見つめていた。大人になんかなれない。すべてを失い丸裸にされて三途の川を渡るときにも、ぼくは川守に微笑むだろう。忘れも思い出しもしないよ、と添えて。
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この世にふたつとない、自分だけの言葉を作るのが好き。"うわさの31文字"、"未識天命"、"ももも太郎異聞"。クォートで挟んで検索すると、自分に関連したリンクだけが出る(中国のサイトはあるけど)。自分オリジナルの言葉だと主張もできるし、いまだ誰も使ってくれないともいえる。ちと悲しい。
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さいきん、テレビCMも始めたlumosity.com。わたしも始めました。二日目のトレーニングを息子に取られてしまったので、別のブラウザで改めてアカウント取得。そのさい、30歳鯖を読んで同じ初日のトレーニングを受けてみたら、結果はガタ落ち。読まなきゃよかった、。
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童謡「クラリネットをこわしちゃった」とアニメ「サザエさん」の主題歌は、出出しの部分が似ている。どうでもいいことですが。
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「なんとなく解っていただけたでしょうか?」とか、「そんなに悩まないでくださいよ」とか、「なんか『晴天の霹靂』って顔、してますよぉ」などと連発する人がいます。悪意ではなく習慣になっているらしい。こちらの内心を相手の言葉で説明してほしくないと思うけど、習慣の前には「なんとなく」無力。
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ニュアンス(微妙な差異)、ギプス(石膏)、ダイエット(食餌療法)、マッチョ(男らしい)、ファッション(流行)、世界観(楽観的や宿命論的など)、確信犯(思想犯や政治犯)、憮然(失望したようす)、やおら(ゆっくりと)、さわり(聞かせどころ)。間違ってました。でも、いまはもう……春。
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テレビ局にCMを出している企業の製品を、みんなが買わなくなれば、テレビ局はこけます。テレビ局本来の仕事って、番組ではなくCMの放送ですから。出稿した企業からすれば、CMは売上向上のための手段なので、テレビ局という企業から見て何に相当するかというと、番組。売上向上のための手段。
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ある病の人が言うには、「となりの人が私のことを盗聴して、しばらくして、それをまた壁越しに私に聞かせようとするんです」。もしかしたら、その人の脳内では、「自分が何かを思い出した」という現象が、そのような受難の形で響いているのかもしれないと思った。何か重大なヒントをもらえた気がする。
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寝ている子どももいつかは起きるから、言わなければならないことも多いけど。玉手箱を手渡して、乙姫「決して開けてはなりませぬ」。浦島「え、これ開くものなの?」……という状況を、どこかで恐れている。
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ある高名な女性占い師がいた。よく当たるというので、予約をしなければ見てもらえないほどの人気があった。あるとき彼女への取材で、「この仕事をしていていちばん困ることはなんですか?」と聞いた人がいた。それに答えて、占い師曰く、「連絡なしのドタキャンがいちばん困るわ」
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日常の体験の中で、異常なことはあまりない。あまりにあれば、そもそも異常じゃないし。あるラーメンのチェーン店で、客につかみかからんばかりの態度で、世相をぐちっている店主がいた。おたまで大鍋を叩いて拍子をとったりして。そのラーメン、おいしかった。早く店を出たくて一気に食べたから。
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いつか国家権力というやっかいものが消えてくれるんじゃないかというロマンティシズムを、共産党の人も、リバタリアニズムの人も、ともに抱いているのが興味深い。互いの考えをひとつも共有できないとする個人のペアは、存在しない、のかもしれない。
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むかし、土地台帳法で、「第一条:この法律の施行地にある土地については(中略)土地台帳に必要な事項の登録を行う」「第四十四条:この法律は、国有地には、これを適用しない」というのがあったらしい。国有地を第四十四条に従って適用からはずすと、第四十四条を適用したことになるという逆説。
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「哀しみが終わるとき」というタイトルのフランス映画があった。酷な言葉だと思う。悲しみは乗り越えるべき人生のイベントだと、人様は励ましてくれる。そしていつか薄らいでゆくものだと見積もってくれる。自分なら、平穏な日常が戻ってくることすら辛い。正直に言えば「悲しみのあと」は未定義です。
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