総勢20名ほどが入り乱れて走る。服は2種類でほぼ同数いるが、色に着目すると、コート中央に対して左右の線対称の動きを見せるため、同じ目的を持つ者同士と思われる。己の頭ほどもある球を足で蹴りながら走る。遠くへ蹴り飛ばすこともある。手は使わない。両端では動きが乱れる。ときどき笛が鳴る。
コートの両端に高く設えられた網状の袋に球を入れることがあるが、底には穴が開いているので抜け落ちてしまう。そのたびに半数の者が歓喜するのは、相手側の考えなしの行動を揶揄する行為かと思われる。ほぼ全員が球のうばい合いをしているので、球を袋に入れたいのか、そうでないのかが判然としない。
数名ずつがコートの中央で仕切られた同じ面積を占有し、互いに仕切りを越えることはできない。両数名は、協力してひとつの球の送受を繰り返すが、互いに友好的な関係には見えない。ときに、ひとりまたはふたりが同時に垂直に飛び上がり、球を手で弾いて送るが、これは緊急性を強調した表現と思われる。
二者がコートの中央で仕切られた同じ面積を占有し、互いに仕切りを越えることはできない。両者でひとつの白い球をやりとりするが、それには道具を使うことが義務付けられる。やりとりを頻繁に行うためか、その道具を使って球を強く叩いて相手に送る。頑丈なものらしく、潰れるなどの心配は無用と聞く。
包丁一本。さらしに巻いて道を歩けば銃刀法違反。大根が切れる道具なら人も斬れる。それなら自動車も同じ。じいちゃんを病院に乗せていくことも、じいちゃんを踏み潰すこともできる。道を歩いているとよく感じる。このツールの殺傷能力と、それを操作する人の技量や心構えが、不釣り合いではないかと。
『関白宣言』の性別を入れ替えた『恐妻宣言』。「おまえをムコにもらう前に言っておきたいことがある……」「忘れてくれるな……愛する男はおまえただひとり……」。さほど好きな歌手ではないが見事成立。ほかにも知る限り破綻なし。このひとの歌詞は性別に阿ねない、知的テンプレート系。民族度薄し。
思えばスポーツとは罪深いものだ。健康維持に欠かせない「運動」という大切な要素を、何のスイッチが入ったものか、競争だの対戦だのに流用し、あげく身体を壊したり短命に終わったりしている。それならば、同じく身体維持に必須の「栄養」を、大食い競争だの早食い競争だのに費やす愚かさと大差ない。
男女を明示していなくても破滅感が身に染みる。春が来て去年よりずっときれいになった男。女ひとりに命をささげて耐えてきた己を馬鹿だ馬鹿だと嘆く男。婿入りのため家を出ていく兄に、味噌汁のレシピを頼む妹。当然視されていた「差別」の意識は、「役割」に憑依しつつ、いまも淡くひそやかに根深い。
★中学校の理科の授業で、隣の席でY倉と日向がペアを組んでいる。Y倉が教師に質問するため席を外した瞬間、日向が手を差し出してきた。こちらも左手を伸ばし、遠慮がちに意識的に指を触れさせ、重なるようにした。日向の指に力が入ったような気がしたので、握り返した。夏の時間も止まってくれない。
夜は、歩行者が、小さなライトを手にしたり、光を反射するたすきを着用したりすることがある。じつはあれとて良し悪しで、歩行者の存在がわかりやすくなる半面、それをいいことに、ほかの地域は知らないが、少なくとも当地では、歩行者との間隔を見切って、すれすれで通過する車がかなりあるのが現実。
きょうから「送りつけ商法」の規制が強化され、例の「14日間ルール」は廃止となる。こんなルールがあれば、そりゃ業者は、でかい魚介類を送り付けるに決まっている。そもそも、送りつけに対して一定期間の現状維持を求めること自体が無茶な話で、旧法は、ネット通販の流通性を担保する国策がらみか。
本邦では、自粛と称しながら、そのじつ「公粛・共粛」とでも呼べそうな代物であることがはっきりした。見かけ上の行動を、目と耳と嘴の付いただれかが見張る。うちの近所では聞かんけど。町内会で共同で買った赤い羽根共同募金。「あのひとは自粛していない」は「あのひとは寄付をしていない」と同根。
投機の指南書はいう。人間は、放置したことで損をするよりも、行動を起こして損をすることを無益に恐れると。「ワクチンは打つメリットのほうがデメリットよりも大きい」は、統計上は真実で、それならわずかの差でも打ったが勝ち。デメリットがあるから打たないのか? との問いに向き合えば一目瞭然。
一休さんの国には、「詐欺師」と「パー」と「部外者」が暮らしている。この国で出される選択問題の答は「全部該当」や「該当なし」が多いので注意すべし。クリックした語句と遷移した先の内容が一致しないことも頓智のうち。「詐欺師」と「パー」は、宗教活動や営業活動でも多いが、「パー」は楽ちん。
シュレーディンガー栄螺。ステロタイプな雛型と各種差別を惜しげもなく展開してきたキャラ連中が比例代表でどの政党に投票したのかは、「秘匿されているだけで確かにひとつに決まってはいる」のではなく、「投票はしたが明らかになるまではどこにも入れていないという状態」という量子論的回答の予感。
元旦と二日目、同じ時間にウォーキング。ともに同じコースで海岸沿いと神社前を歩いた。人と車でごった返した初日とは違い、二日は人っ子ひとりいなかった。彼らは日の出を見たいのでも神様にお祈りをしたいのでもなく、他人と同じ行動をとることを重んじているように見えた。見上げた十六夜が美しい。
この秋、コロナ禍という語を目にしない日はない。わたしは4月11日、メールで初めてこの言葉を使った。用法として妥当かどうか(他の人も使っているかどうか)を確かめるため、卑怯にも検索して調べたことがある。グーグルは使用例を示してくれなかった。「新型コロナウイルス」を使えと言っていた。
★近くにいる従業員に適当な部屋はないか聞いてみた。それではと案内された場所は、もはや部屋とは呼べない、天井も壁も総ガラス張りだった。やたらと横幅のある数段を上がると、目前にイルカショーでも余らすほどの巨大プールが開けてきた。ふちには数人の男女が浸かっているだけ。悪くないと思った。
脳と舌先が大好きな「糖・脂・塩」は、少なめにしている。日ごろの食事で満足していて、金のかかる外食や宿泊先での飲食に魅力を感じない。食物繊維を意識してオーダーすると高いものにつくから。まして大麦や燕麦(オートミール)など、メニューにないことも多い。そりゃ売れないものは置かないから。
2020年秋、毎日食べているもの。麦(大麦・燕麦)、大豆(納豆・きな粉・おから・乾燥大豆)、食酢、野菜(キャベツ・ほうれん草・菜の花・オクラ)、海藻(ワカメ・海苔)、魚(サバ・鮭・サンマ・削り節)、カカオ(チョコレート・粉末)。燕麦(カラス麦/オーツ麦)は妹らにも評価されてきた。