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ある高級官僚が言ったという。自分のこの社会的地位は、一代限りのもの。商売人や政治家のように、子に譲ってやれない。大衆は世襲の地位が大好きだ。多くの人が感じている。世襲には本来求められる能力とは別のものが要る。それを手にする者が勝つ。それは、アンフェアと呼ばれるべきではないのかと。
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短距離走者。会計士。官僚。棋士。漫画家。開かれた真剣勝負の舞台の上で勝ち残ってきた人びと。共通するのは世襲が成立しないこと。遺伝は幻影にすぎないのかも。平均IQが153ある親たちの子らのそれは120に過ぎない(H・J・アイゼンク『知能テスト入門』)。平凡ではないが、傑出でもない。
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池澤夏樹『砂浜に坐り込んだ船』読了。八篇の珠玉からなる。最後のやつは別だが。表題作は海岸に打ち上げられた大型船の見物をきっかけに、旧い友人と邂逅する話で、二十年以上前に、台風が原因で津市の海岸に大型タンカー二隻が漂着したのを思い出した。あのとき自分は見に行ったが、誰と会えたのか。
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Tへ。空と雲の組み合わせには、一枚の絵として、世界がある。世界があると、そこから物語が作れたり、あるいは過去にあった物語を思い出したり、過去にあった出来事から事実とは違う結末を想像してみたり、いろいろな心の動きで楽しませてくれる。海を見るとき、視界のほとんどは空と雲で占められる。
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どこからか放り投げられ、拾われた「大人の対応」という言葉。ことあるごとにそれを口にしてうなづき合う大衆は、権力側にとってまことに都合がいい。漫画「テラフォーマーズ」に登場する、火星で進化した生物テラフォーマー達が発する「じょう」「じじょう」「じょうじ」「じょうじょう」と大差ない。
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消費活動の主体にして絶えず小銭を撒き散らし、斯界に莫大な富をもたらすがゆえに、決して批判に晒されることはない。この人こそ大衆であると目される個体は存在しない。ゆえに大衆は裸の王様にはならず、判断は常に健常とされ、かつ災いをもたらす。ときに待ち望んでいたと思わせるような外観を呈す。
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身の回りの仕組みを当たり前だとして省みることのない性質は、安定には寄与する反面、その仕組みが何者であるかとの意識を持たない。生れたときから存在している、普通選挙制度、都道府県、戸籍制度、憲法、人権、習俗。玉石が混淆する中で、それらを見分ける力を、大勢に阿る方法でしか取得できない。
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テレビというジャーナリズムを自称する株式会社が、街の声として流すことばは、それはたとえ役者を使ったものであれ、日本の平均的な認識として定着させる使命をくくめさせられている。視聴者の側もそれで得心している。お互い、天候などの合言葉を言い合って安心するという、農耕社会の残滓が見える。
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「裁判員裁判参加の通知がきたら」との質問に、街の声は、「いやあ、できるならやりたくないですねえ」「法律の素人が参加するなんて」「義務なんだからしかたがない」。脚本家や放送作家が書いた言葉をなぞっている。投票は同じ重みを持つ。「投票なら行くけど」という台詞は、投票をなめている証拠。
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Tへ。絵葉書は、裏の写真の左下を切り取ったかのような青い切手が貼られていた。「海色」に合わせてくれたのか。純白のカードのそこだけが、海色になっていた。葉書は、ピアノの上に居座り、もっとも間近でピアノの音を聞いている、七体のぬいぐるみどもが抱きあっこしている。ありがとう。礼を申す。
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Tへ。きょうは風がきつかったが、仕事はどうだったかめ? ののと対戦する路地のバドミントンも、五分五分が難しくなってきた。曩日、若い若いと言われてきた自分だが、頭に「まだまだ」と付けられるようになった。而して「まだまだ」は否定語とみなす。きょうは葉書をありがとう。代わって礼を言う。
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本谷さんの作品は、『生きてるだけで、愛。』をだいぶ前に読んだ。作家が26歳くらいのときの作品。人物の描き方には脱帽する。この作品のために集められた名優たちという感じ。とくに92ページから数ページにわたって書かれた主人公の、欝というより、アスペルガー特有の言動には、身につまされる。
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本谷有希子氏「異類婚姻譚」読了。譚であるからして、ラストがああなのか。そんなことはどうでもいい。結句、これは夫婦の離婚話である。前妻への未練を断ち切れなかったぐうたらを演出する夫と、結婚の意味をつかみ兼ねている妻である主人公。サンショを山に捨てる挿話は、子どもがいないことの象徴。
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iGame 目のテスト、三たび。前回よりも1点増えた。うはは、この勝負、中学生の息子に勝っているのだ。 31 ポイントです - レーザーのような鋭い視覚です。あなたはロボットですか? http://wvw.igame.com/eye-test/?tws=31--JP …
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iGameの「スピードテスト」。赤いパネルをひたすら、できるだけ早くクリックするだけのゲーム。一回目は早くに間違えてカメ。二回目はロボットチーター。アルゴリズムに褒められた。うれしい。http://wvw.igame.com/speed-test/?lang=JP …。
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ところがその老人は、他人の心を見透かしたような目をして自分を見上げている。聞き取れなかったその言葉は、近い将来の自分のために譲り受けるべきものなのかもしれなかった。「俺はあんたが考えているような年寄りではないし、そんな青年でもなかった。俺が何者なのかは、俺が疾うの昔に決めている」
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お年寄りを見るたびに、1970年の大阪万博のころを思い出す。自我同一性が固まったあのときの年齢から自分の基本は変化していないので、その46年という年月が、時間の経過を実感する物差しになる。いま目の前にいる車椅子の老人も、あの日あのときには、過去を悔やみ、未来を描く青年だったのだ。
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さそわれて、高田本山専修寺の南側に位置する「ぼんぼり」という食堂で午飯をとる。バイキング形式と思いきや、グラム単位で計り売りをする会計方式になっている。自分たちは十一時のオープンと同時に入店したが、あとのお客が引きも切らず、正午を待たず満席に。家庭料理のような垢抜けのなさがいい。