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奥田亜希子氏『左目に映る星』読了。こだわりの強い前サーの主人公の、当然すんなりとはいかない恋の物語。同病相哀れむ関係だった吉住くんとのくだりでは、2009年の川上未映子『ヘヴン』の記憶が蘇る。孤独であることや、だれにも理解されないというテーマは、深堀りのし甲斐があるというものだ。
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そも r なり、R なりはどこから来たのか? 半島経由という有力な証拠がある。しかしながら、R系一族は、自分らはよそから来ましてんとは告らない。わが祖宗はこの地に降臨したる神を濫觴とす、などと歌う。困ったことである。人間、太古の昔よりいくらでも吹かすので、本当に困ったものである。
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A Real は定着した。というより、民衆は、A Real に対して、はじめから定着していたかのように振舞ったのだ。一方、時を経てもなお、Real 時代を懐かしみ、R の復活を願う者もいた。R の精神はいまも生きている、どこかにおわす r を探し、われわれで傅育したてまつらんと。
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民衆は蜂起しなかった。なぜなら、R はかれ自身を含む Real を装っていて、民衆は Real ならまあいいかと思っていたからだ。ゆえに追放された ar に思いを馳せる者はいなかった。R を斬首し、ar を復活させたのは、A Real の並びでないとだめだと断じた国外勢力だった。
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先頭の R はたしかに悪いやつだが、もとは r だった。r が単語の先頭に紛れ込んだ理由は相知れぬが(おそらく Real の並びに郷愁があったのだろう)、彼を大文字に僭称させたのは、ほかならぬ筆記の慣例だった。登壇した R は、ただちに ar の追放を命じる。Real のために。
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Rareal Me は間違いで、正しくは A Real Me でした。小文字をコピペする段階で ”a” の先頭に ”r” が吸着し、しかもスペルの先頭だから大文字にしなくてはとこれを直し、のちに、それに続く ”ar” とは何ぞや、いったいどこから入り込んだものかと首を捻っている。
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テレビをつけるといつも男の人が叫んでいてこわい。叫ぶのは決まって男の人だ。その声と同時に、その場の大勢もいっせいに叫ぶ。みんな取り憑かれたように声を出し体を動かしている。自分のことじゃないのに、一生懸命になっている。出さない声は聞こえないし、うつむく人は映らない。日の丸が見える。
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海賊だろうが強盗だろうが、一方で、奪った金の使い方はおだやかだろう。支出の場面のたびに相手を脅したり無銭飲食したりなどはしない。生娘のような消費者の姿がある。強引に奪い穏便に手放す。近代以降の戦争を丸裸にすれば、たいていこの商いが見える。殺された人も殺した人も、本当に哀れである。
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Tへ。無礼講というそれ自身の意味と実態が合わない自己矛盾が存在する。無礼講とはすなわち慇懃講であると心得られたし。主催者は、その場で要請された立ち居振る舞いができる人物かどうかを見ているだけで、この社会においては真の意の無礼講など存在しない。言葉を鵜呑みにするなど愚の骨頂である。