作家町田康氏の劣化を案ずることはない。かつて彼であった彼は、四十代のある日、泉下の人となったのだと思えば納得できる。アラフォーでの作品はすばらしかった。胸にしまっておくよ。来週の金曜日、高橋源一郎がラジオに町田を呼ぶという。きっと自分は聞くだろう。氏の記憶を語れる大切な人だから。
順延になった運動会が梅雨空の合間になんとなく開催された。その日校長は欠席。掲揚と斉唱は校旗と校歌。選手宣誓省略。競技は午前中で切り上げ。そういえば先の遠足は私服。京都の地に降り立ちながら訪問先なし。長い自由時間。生徒を縛らずに自由を与えることで自ら決定させようとする校風が伺える。
午後十一時十分。とうに昇っているはずなのだが、東の水平線は月の気配すらない。対岸の明かりが漁火のように海面を照らしている。薄い雲であっても、あの光の入射角では、遮られてしまったのだろう。月が出ていれば、この漁火は目に入らない。結果がすべてだと自分は思う。疲れたので行程を端折った。
ふはは。溝そうじは二十分で終了。ウォーキングのあと、鈴鹿方面に家族で出かけた。ツタヤをのぞいてから、業務スーパーで食料品を買い込み、くら寿司という店で寿司をつまんで帰宅。きょうの月は、きのうより四十一分おそい。東を見て待つつもりでいる。歩くときはひとり。夜道はひとりのほうがいい。
★忍びの身である自分は、世話になった小大名に用件を伝える特命を受け、夜を日に継ぎ山野を走り抜けた。ところが謁見の場で伝える内容をど忘れしてしまい、緊要の情報と告げた手前、辻褄合わせに思案した結果、真田の内紛もしくは真田と徳川の間で戦の気があるなどとでっちあげて大儀に扱われている。
さて自分は、昨夕、今朝、この午と続けて、家内の作ったハンバーグを食しているが、体は別段なんともない。このハンバーグには例のパン粉が少なからず練りこまれているにもかかわらずだ。ふたつ目にはちょいと箸がためらうが。もう安心していいのだろう。そして家内には謝罪と感謝をすべきなのだろう。
★蔵の中で古い箪笥を見つけた。抽斗に金属の取っ手があり、小指ほどの毛虫の先がくっついて水平に伸びている。気味が悪くなった自分は、大型の鋏でもって毛虫を取っ手との境目で切り落とした。すると下に落ちた毛虫はみるみるうちに膨れ上がり液体を放出して、攻撃性を増しているようで恐怖を感じた。
人ハパン粉ノミニテ生クルモノニアラス。御意。大衆には、観戦やゴシップは欠かせない。さて、向後生涯にわたり、パン粉を忌諱せんと決意した自分ではあるが、原点回帰もまた必要だ。そも事件の発端は何か。パン粉は人の世に欠かせない。ならばこそ作られたのだ。パン粉にけちをつけるのは俺が許さん。
この短文を書けるのもきょう限り。なのかも知れないし、あるいは、夕食に出たトンカツの二枚目に箸を伸ばして食べ過ぎをたしなめられるという絵で済むのかもしれない。ひとえにこのパン粉とされる物質にかかっている。嫁がどうしても食わそうとするなら断ろうと思う。そういう遣り口はしないだろうが。
嫁が医院から帰ってきた。おずおずと袋を差し出す。「あー、ハスヒさんて女の人から、パン粉だって」と気のないふうを装いながら、嫁の表情をためつすがめつしてみる。「ああそう」と自然体過ぎて怪しい。いま気づいたのだが、家内の顔つきが出発前と少し違って見える。あれは俺を駆除する薬物なのか。
しだいに不安になってきた。これを知った家内はどうするか。帰宅するなり、何これ。なんで受け取ったのよ、もう。などと騒ぎ出すのではないか。これまで累積した不満が特異点に達し、パン粉袋ひとつの重みで天秤が軋み出すのではないか。パン粉で離縁と相成るのか。そもそもあれは本当にパン粉なのか。
午前九時四十五分、ハスヒですが、とか名乗る年配の女性が玄関に現れ、ゴム鞠ほどの大きさの袋詰めを手渡してきた。パン粉だという。家内はまともなほうの医院に出たあとで、ここは思案するところだが、われ知らず手が出ていた。去りぎわの女性の不安そうな顔つきが気になる。ふくみ笑いでも怖いけど。
嫁が、かかる医者を変えた。遅きに失した正解だった。悔やまれるのは、はじめのポンコツに引っかかり、侮りと誤診とあらぬ向きへの紹介(紹介状を受け取った側も面食らっただろう)で、大切だった時間を失ったこと。知らずに行った当人のせいなのだが、迷惑だから医院の看板など揚げるなよと言いたい。
★ところが気がつくと、目の前の卓袱台の前に坐っているのは、日向に似た他人だった。ひょっとして自分は寝ていたのだと思い、さきほど夢の中で聴いた甲高い声はあなたのものだったのかと尋ねるのだが、正面の女は口を濁して捗がゆかない。この女は誤魔化している。事実を知っても、理由がわからない。
町田康『浄土』。とくにはじめに掲載されている『犬死』。2001年、40歳のときに書かれた作品で、町田文学の最高峰に位置するものと確信する。これを越える純文学作品を求めるのは無理筋というもの。ならば、あらゆる骨肉をあばき、換骨奪胎を試みることにする。他人への満足で終わらせることはしない。
自分にとっての「いまここにない世界」とは、未来のことだった。それが今では、過去のあるときに自分が描いた未来のことを指している。つまり、むかしも今も同じものを指している。三角関係。その世界は、「いまここにない世界」であり続けている。ずいぶん遠くなった。遠くなって瞬く光はより美しい。
けさの新聞記事で、「一定の効果はあったが(中略)期待以上の効果は上がらなかった」とあった。記者は何を書きたいのだろうか。例の「期待以上」が乱用されている。インタビューした相手は期待はずれの結果しか得られなかったというのが実態なのだ。「期待以上」を否定することで曖昧な答弁と記事に。
★いましがた退院した病室に忘れ物をしたことに、玄関口まで下りたところで気づき、引き返すのだが、なかなか戻れないでいる。脇から助言をもらうたびに、ああそうだったと納得はするのだが、その先の展開がない。見知らぬ大勢の人々が行き交う通路の中に、妻と息子のペアを偶然見つけ、安堵している。
ここのところ体重が増えてきた。年末の57キロ台から3キロも増えてきている。筋肉が増えたからとか膵が回復したからなどの解釈も限界で、つまりはナッツなど脂肪分の摂りすぎが原因だと踏んでいる。習慣には、前例を踏襲するだけではなく、小さい新たな習慣をも自身に取り入れる性質があるのだろう。
★同僚にUさんというお大尽がいて、中古で家を買ったのだが、中世フランスのお城と見まごう大普請のもので、訪れたみんなは呆れていた。職場には、家を買った仲間には、カーテンや調度品を共同でプレゼントする慣わしがあり、他人の家のカーテンのために破産するという、類を見ない経験に怯えていた。