脳と舌先が大好きな「糖・脂・塩」は、少なめにしている。日ごろの食事で満足していて、金のかかる外食や宿泊先での飲食に魅力を感じない。食物繊維を意識してオーダーすると高いものにつくから。まして大麦や燕麦(オートミール)など、メニューにないことも多い。そりゃ売れないものは置かないから。
2020年秋、毎日食べているもの。麦(大麦・燕麦)、大豆(納豆・きな粉・おから・乾燥大豆)、食酢、野菜(キャベツ・ほうれん草・菜の花・オクラ)、海藻(ワカメ・海苔)、魚(サバ・鮭・サンマ・削り節)、カカオ(チョコレート・粉末)。燕麦(カラス麦/オーツ麦)は妹らにも評価されてきた。
★古い公共の建物に友人ふたりと忍び込んでいる。泥や苔が建物の内部にも侵入していて、廃墟と化している。無論だれもいるはずがないのだが、廊下を回り込んで階段を上がろうとすると、十段くらい上に人がいてこちらを見下ろしている。自分たちは肝をつぶしたが、彼にはとくに驚いたようすがなかった。
せっかく倉庫住まい、工場住まいを志向しながら、凝った内装などを望むとはもったいない話だ。お金があればあったで、ついぞ離れてはくれないものなのか。『銀河不動産の超越』の著者とある建築家の共著『ANTIHOUSE』という昔の本を図書館で借りた。でもちょっと違うかな。アンチ住常識とは。
世の中、数字がものを言う。人数を聞いて不安になり売上高を知って安心する。収入を聞いて侮り資産を聞いて嫉妬する。あいつより背は低いけどIQは上。期待と失望、卑屈と傲慢がないまぜに訪れる。世の中、数。比べてばかりいる。でも謙虚は違うかな。謙虚さは、他と比べないから。自立しているから。
「倉庫に住む」「工場に住む」「家の中の家」などで検索するとたくさん出てくる。アンチ住常識を懐に、サッカーの練習ができるほどの巨大な建築物の隅で中央で、テントを張って暮らしたい。二階とは組み立てるもの。イルカのプールがお風呂代わり。屋内のあぜ道は、天窓から入る光が育む雑草だらけか。
6月17日、つまるところ、前日までは他人のイベントとして予想していたにすぎない。前日までのさまざまなシミュレーションはすべて外れた。実の物理的な距離を食らうまでは、ちっちゃな自分の心に、これほど応えるとは、経験するまで分からなかった。他人にはわからない。小さすぎて目にも留まらない。
アイスランドで善人になる。旅行者の話は聞かない。北海道の二割増しくらいの国土に、人口はその十五分の一の36万人。人口密度は3人強。ゆったりにもほどがある。住人の大半は、国語、英語、デンマーク語とトリリンガル。識字率99%以上。GDP/Pは世界6位。軍隊なし。徴兵、やったことない。
「国の方針」「国難」「〇〇との戦い」「国民挙って」「ここはだまって従え」てか。似た言葉が戦時中にも使われていたはずで、後になって、みんな狂っていたんだ、騙されていたんだ、どうかしてたんだ、との掌返しは、まさにこれぞ真の便器に違いないと信じたばっかりに失敗する寝小便への恐怖と同根。
緊急××宣言──とかが解除され、各地は多くの人出で活気が戻りつつあるらしい。息をつめて潜っていた湖底から首を出したみたいに、笑顔で肩をたたき合っているような声を国営放送局のラジオが伝える。ありゃそんなに辛い期間だったのか。では、何も変わらない日々を過ごしていた自分も、それなりに。
超高齢の患者では、入院に伴うフレイルの深刻さが声高になってきた。数年もすれば、団塊の世代が、つぎつぎと後期高齢者に該当してくる。医療などの福祉予算が逼迫するにつれて、あたかも飢えに苦しみ切羽詰まったひとつの生き物のように、医療倫理もこの先、それまでにない変容を見せてくるのだろう。
ところが嫁は、やはり西側の少し離れた場所にも白い綿毛がまいてあり、水まで遣ってあると言って怒っている。そっちは知らん。知らないものは謝りようがない。綿毛は、東方向の花から飛んできたとわかったが、水があるのは変だ。「俺のやりそうなことではあるが、俺ではない」と、記憶を確かめながら。
国別の新型コロナウイルスによる死者数(百万人当たり)の表を見ていると、夏場だった南半球は別にして、日ごろから辛い食べ物に慣れ親しんでいる地域で数字が低いように思う。https://res.cloudinary.com/hya19ty1g/image/upload/q_auto/v1590657172/moneyplus/NEWS/20200528-data3.jpg 「辛い食べ物をよく食べる人ほど死亡率が低い」という5年前の記事も見つけた。 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/bmj/201508/543548.html
散歩中にふと見ると、道路端に犬のふんが落ちている。わずかに離れて小さいのがもうひとつ。そのどちらにもチョークの白い丸で囲まれていて、5/17と目撃日まで添えられている。これは新たに現れた「自主警察」かも知れず、例の「自粛警察」から派生した現象かと笑う自分は「自主警察ウォッチャー」
手作りマスクふつかめ。と思いきや、先日ネット通販で注文した黒と白のマスク、都合20枚が届いた。ウレタン製で思いのほか装着感はいい。前にスーパーで買った不織布が10枚に手作りが7枚。家じゅうマスクだらけ。来月には安倍印の官製マスクも届くらしい。出歩かないのなら、どうやって使おうか。
きょうは手作りマスクの日。そんなものがあるのか。嫁は昼前まで、おかずも作らずに手作りマスクに没頭している。自分は衣服用の黒い不織布があったことを思い出し、嫁とは別ルートで、マスクを作ることにした。鼻の部分を盛り上げて、ここだけ糸を使う。ほかはハサミとホッチキスだけなのでお手軽に。
絶対にしてはならないことが、絶対に必要となったとき、どうすればいいのか。Tよ。正義を貫くという態度だけで解決できるのか。完全に阻止するか、断固としてやり遂げるか。中間部分に選択肢はないという予感。しかし多くの脚本では、全員を助け、かつ、船を沈めもしないという大団円を演出してきた。
きょうスーパーに出かけた。マスクは着用した。それは防疫云々というよりも、その場所で働き続ける人の気持ちへの配慮、さらに三重弁で言うところの「やらしい」から。信仰がなくても宗教施設内では脱帽するのと同じ。不織布マスク、ワゴンに残ってました。ひと家族様につき、ひと箱5枚の数量限定で。
目測だけど。スーパーにマスク姿で来る人の割合は、ほぼ百パーセント。なのに入店のさいに消毒液を使う人はごくわずか。マスク着用の趣旨は専ら、無自覚感染者が人にうつさないようにとの配慮ではなかったか。ならば不断の手洗いや消毒がより大切なはず。良風よりも護符に価値を認める姿勢が見られる。
実家もふくめて、近親者で通勤をする人間がいなくなった。かと言って、くわのひとつも握って耕す畑もなし。午後2時だというのに、市内の大通りは、国道を行く車のほかは、まばらな自転車の影があるのみで、視界はきわめて良好。見上げる熟女キャバクラのイラストが逆光の中で、うら若き同級生の横顔。