twitter もどき 私的 MURMUR
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家族で見ていた「マダガスカル3」のCD。実力はあるのにトラウマにより炎の輪くぐりの演技を拒む元スター、トラのビターリに、出るようにと説得する主人公のライオン、アレックスが放つ台詞がいい。「わしなしでも問題ない」と言うビターリに「ぼくの左足は何ともないけど、右足がないと歩けないだろ」
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違憲状態? ──それは違憲なのですか? 合憲なのですか。──違憲状態です。裁判官は新語を使い出す。法的にどんな状態にあるのかを、段階をもちいて創作するに等しい。──さあ次は、お前の番だ。──待ってください。その前に、これが違法でないかどうかを見極めたいのです。
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心があればこそ行動となって現れるのだけど、逆に行動が心を磨くこともあると思う。あまり考えない単純な行動であっても、続けていれば全身の血肉が動き、心が動く。自分から漏れた言葉で自分が鼓舞されるみたいに。心臓が手前が送り出したはずの血液が帰ってくるのを見て驚き、とくんと打つみたいに。
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他人の内心は知りえない。そもそもそれを探ることが間違いで。ゆえに善は外観のみで評価するというのはどうでしょうか。行為者の本心がどこにあるのかは問わない。仮にその人によこしまな心があっても、外部に漏れなければ善とし、いささかでも漏れたら、善だとはまったく認めないというやり方です。
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身内が本を売った。安かった。時代がモノ中心から情報中心にあることを強く感じる。でも、本の中の文字は、デジタルデータのように一瞬でなくなったりはしない。踏んだり絞めたり水に漬けたりしても、あざのようにしぶとく居残ってたたずんでいる。本は日差しをさえぎり、枕にもなる。愛いやつである。
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アニメ『ザ・ペンギンズ』に出てくる輪尾狐猿のキング・ジュリアンは、動物園仲間であるカワウソから自慢話を聞かされて、「そんな話、ちっとも面白くない。だってわしが出てこないんだもん」と言っていたが、誰にも当てはまると思う。読者は結局、自分を求めて本を開く。泣ける自分を探しているのだ。
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小説は作り話であると分かりきっているのに、読んでいておもしろい。でも人の夢に出てきた話はたいていつまらない。夢の荒唐無稽は、それを見た本人に依存しており、他人から見れば、なんでもありのハリーポッター的ごみ箱。作者の意図どおりに、読者が自己を投影しながら筋を追う小説とは筋が違う。
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位相幾何学的にいえば、消化管の内部とは、からだ全体から見れば外側に他ならず、食物の消化・吸収・排泄とは、皮膚にサロンパスを貼って薬効成分を得てからはがして捨てるという行為と大差ない。
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典型的な人びと:急に黙り込んだ孫を見て「電池が切れたか」と腰をかがめるじい。リフト直下のこぶ斜面を好むナルシストスキーヤー。連れ合いや飼い犬を指して「彼女はシャイなんです」などと言う、短髪あごひげメガネ。じいさんばあさんが登場する場面の最後には必ず「こちらが元気をもらいました」
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ならば又吉直樹さんの『火花』は買うのかといえば、多分買わない。『火花』は一年後に図書館で借りて読む。自分はものすごいけちなのだ。文學界はたいてい、巻末の応募要綱に興味があるだけ。うまか棒やガリガリ君には勝てない。仕事するぞ、俺。
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又吉直樹さんも川上未映子さんもB型で嬉しい。心理学の常識として、血液型占いは全否定されている。血液型が性格を決めるなんてありえません、そりゃバーナム効果というんです、と医者は言う。そうじゃなくて、他人の箱を開けてみたらB型と○○がペアで入っていた、ということの多さを言っているの。
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純文学にネタバレはない。あらすじを知られて萎れるようなものは純文学ではない。読み返すことが読むということ。でこぼこした道をなんども歩き、つまずいた石をひっくり返したとき、そこには自分の名前が書いてあるのだ。
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川上未映子さんの作品は、芥川賞受賞作の『乳と卵』を、その後『ヘブン』を少し読んだ。『乳と卵』は石原(慎)という人が貶していたようだった。川上さんでは、最近ようやく『わたくし率イン歯ー、または世界』を読んだが、よかった。純文学でこれ以上のものは書きにくいのではないかと真顔で話す私。
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私の本名である「博之」の「博」の字は、この変換された漢字と同じものだと(家族みんなが)思い込んでいたけど、真実は、この漢字の中の「寸」の上側は「甫」だったのです。昔、婚姻届を出したときに役人にその事実を告げられ、「こんな字、俺じゃない」と詰め寄った。「僕って何?」の感覚があった。
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「ヒ」は「比」の右側の形から来ているので、書道では、右から左へ払うのだという。お習字、やってたけど、ぜんぜん意識せんかった。もとよりカタカナはいい加減にできているらしく、「ノ」も「乃」の右側を使っていた例もあるらしい。左から右へと留めるのも、いい加減さが運筆に勝った例か。
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あの中華料理屋で働く給仕人は、すべて女性で、中国風の訛があった。家族でテーブルを囲んで料理が運ばれてくるのを待つ間に、自分はこれまでカタカナの「ヒ」の字をちゃんと書けていないことを知った。第一画目、右から左に払っていたのだが、左から右へと留めるのが正解らしい。半世紀間の誤解。
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45年ぶりに食べた鯨肉はおいしかった。大和煮で食べやすくされていて、また、小学校の給食で噛みしめた食感もそのままだった。和歌山県の太地町と聞けば、有田か白浜のあたりかと漠然と思っていたけど、潮岬よりこっち側で、那智勝浦に近いことを知った。潮岬が彼我のイメージの分水嶺になっている。
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「奇貨居くべし」と「急いては事を仕損じる」。「滄桑の変」と「万古不易」。箴言は反対の意味を持つものと対になっている。パズル作家の故芦ヶ原伸之さん曰く、「スパゲティはマカロニの穴の部分だから、全世界における両者の産出量は長さにおいて一致する」。分離しているから双方でおいしいのか。
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他者との相似点を尊ぶのが犬型社会で、他者との相違点を尊ぶのが猫型社会だと何かに書いた。日本の社会では、学閥や県人会、同業組合など、伝統的に前者が多く用いられてきたと思う。共感や共助・共済の精神が見られる反面、嫉妬や村八分が生じ易い。他者の登下校時の服装や結婚後の名字にも口を挟む。
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京都には十九の頃に住んでいた。プジョーの自転車で古都の東半分を嘗め尽くした。下宿のある八瀬の近くで、逃げる途中に背中の噴霧器に雷が落ちて亡くなったおじいさんがいた。人の真似して筒井康隆ばかり読んでいた。同志社大学は授業料未納で除籍。どれもみんな、霞がかかってきた。まるで夢のよう。
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下校時のヘルメットを見ていると思い出します中学生のころ。鈴鹿サーキットでの合同デートでは余り者の僕だったが、好きな子から小さな飾りをねだられた。ばあちゃんの教えに従い値段を聞いてから手の平に百円玉を乗せてやった。女の子はその恰好のままカタカタとレジに直行。それを見送る儚い坊主頭。
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インフルエンザで床に就いていたとき、ドアの向こうで手ぬぐいを叩きつけているような、あるいは廊下をタンタンと音を立てて歩いているような、規則正しい音がずっと聞こえていて、何の音だろうと思っていたけど、自分の心音が耳に響いているのだった。消えてくれと願っていたけど消えなくてよかった。
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たとえば恋愛の定義:恋すること:見知った特定の相手に深く思いを寄せること:階段を五段抜きで駆け上がって意表をつき、受け入れるのか避けるつもりなのかが皆目見当が付かない相手とともに忽然と消えうせ、しかるべきのちに、別人のような態度で現れる、というような一連のふざけた動作の原因。
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「知っている人だけが年をとってゆく」というフレーズは自分で作っておきながら言うけど、よくよく考えれば、強烈な自己中心主義というのか、「手に入れてしまったから古くなる」というのと似て、救いようのないほど底なしのエゴイズムから来ているのではないかと思う。
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人類の顔を平均化してできた顔は、美人や美男になる。様ざまな特徴が相殺された結果、そう評価される。すべての箴言を混ぜ合わせて言葉を作れば、それは何を意味するのだろう。ドーナツの重心がドーナツ以外の場所にあるように、「誰も言わなかった当たり前の(あるいは恐ろしい)こと」なのだろうか。
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アスペルガー関連の本を読んでいると、症状が自分に当てはまっていることに気づく。140文字以内という制限を与えられると、140文字ちょうどにしたくて仕方がなくなる。これのどこがつぶやきなのか。むしろ小学生の頃の「遠足のおやつは百円まで」という、あの一次元の詰め込みゲームと似ている。
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哲学者の鶴見俊輔さんは子どものころ、授業中は「パンツの中でペニスが右側に入っているか左側に入っているか」を気にして上の空だった、とウィキペディアにあった。現に、パンツの内側は馬の背のような形状になっているので陰茎の正しい置き場所がなく、その正確な位置と運動量は不確定性原理に依る。
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架空の話だけど、もし世界中で「銃を手渡してきた相手を撃つ」という習慣が出来上がれば、結果、誰も死ぬことはなくなり、その意味で世界は平和になるという逆説。そういう話は、形を変えていろいろ企てられるだろう。「核施設だらけの場所は安全だ。やつら、危なくて空爆などできなくなるから」とか。
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PCの電源を冷却するファンの音がうるさいので、二極のコネクタを抜いてやった。熱をもってはいけないので、ときどき思いついては息を吹きかけている。
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下戸だけど、深夜に起き出して飲む炭酸は好き。電気をつけずに階下に降り、冷蔵庫に向かって忍び足。そのとき素足が何かを踏んだ。濡れた部分を手ですくって匂いを嗅いでも所見なし。明かりをつけてみると、潰れたゴキブリだった。逃げ惑う彼の最後の足跡と、俺の三歩目が、時間と空間で一致したのだ。
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