twitter もどき 私的 MURMUR
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星野之宣作宗像教授伝奇考に続き、宗像教授異考録。第一集から十年。十五集まであるらしい。宗像教授シリーズを知ったのは、ある都市伝説で「牛の首」の新解釈として出ていた話が、じつはこのシリーズからの剽窃である旨が匂わせてあり、ならばと興味を持ったのがきっかけです。
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「石崎には、決してひとに悟られてはならない秘密があった……」などと書かれる小説の形式というものが滑稽だ。じゃあ、それを語るあなたは誰なの? という話にならなければ平仄が合わない。おい語り手さんよ。頬被りしてるけど、あんたほんとはイシザキさんじゃないの。虚構の中の住人だとしてもさ。
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この十数年、石渡信一郎氏に私淑している。いくつ学説があろうと、過去に起こったことはただひとつ。後世の事情で変わってはならない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B8%A1%E4%BF%A1%E4%B8%80%E9%83%8E
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いま家族ではまっているTVドラマが『猫侍 SEASON2』。主題歌「我が道よ」もいい。トルコのジュッディン・デデンに似た、哀愁を伴う力強いメロディー。NOAHという四人グループが歌っている。https://www.youtube.com/watch?v=lffUyaECXOo これ、覚えたい。
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1対多の形をとる個人崇拝やシャーマニズムは、底に幻覚が敷かれている。現実社会は「多勢に無勢」が本道。それ以外の支配には『騙し』が作用している。子どものときに思ったでしょう? どんなに乱暴なガキ大将がいても『ふたりでならかんたんに潰せる』と。腹は減るし、いねむりもする人間なのだと。
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津市の人口は28万人だけど、このほぼ全員が5月1日を過ごした。全員が、飲み食い、愚考と理想、お漏らしや腰痛、アイデアや嫉妬、達成や挫折など、なんらかの体験をした。これを個人で為すなら、28万日、767年かかる。鎌倉時代中期の1248年から今日まで生きて、やっと体感できる量なのだ。
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テレビ的世相というものを想定すると、それは空気(K)と呼ばれるだろう。Kは『ガンバレ』の掛け声や『同情』を禁止する一方で『絆』と『共感』は祀り上げる。『自分探し』などしてはならないし、ことに『自己愛』は蔑まれる。KはK自身を読み、だれも同意したことのない『合意』を導き出すだろう。
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きょうの中日新聞「中日春秋」でふれられたいた米国の作家ティム・オブライエン氏の「待ち伏せ」。ベトナムで戦った主人公が、九歳の娘に「お父さんは人を殺したことがあるの」と問われたときの答と、もうひとつの答。「待ち伏せ」は『本当の戦争の話をしよう』(村上春樹訳)に収められているという。
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天気がいいので家族で出かけた度会郡玉城町の田丸城。二の丸跡への渡りにある丸太の上でコンビニ弁当をつつき合う。平日は人はいないが、きょうは日曜だからちらほらと。桜の名所でもあるらしい。
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お好み焼きの具に、お好み焼き自身は使えないのか? お好み焼きの材料【小麦粉、豚肉、卵、キャベツ、お好み焼き】という再帰的用法。粉の量が多くてべたついた焼き上がりの一枚をバラバラに崩して、追加したキャベツといっしょに具として使おうとしたけど、家内に止められた。まずいらしい。
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「作家は処女作に向かって成熟しながら永遠に回帰する」亀井勝一郎の言葉だという。その意味を考えて、ひとつの解釈を得た。すなわち擱筆ののち作家は堕落するものであると。処女作の場合それが顕著で、その後、次第に段差が緩やかになる成熟と堕落を繰り返して上昇し、遙か彼方の処女作を目指す……。
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さて東西、いつの世にもふざけた人はいるもので、6倍速ラジオ体操というタイトルでユーチューブにアップされている動画を見つけた。6倍速になぞ少しもなっていないばかりか、手足の動きも終始でたらめである。羊頭を掲げて狗肉を売るとはこのこと。自分のまじめな2倍速とは、だいぶ違う。
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性善説と書いて「てぬきのいいわけ」とルビをふる。問題が発覚したときに地方公務員が差し出すご本尊のレプリカ。性善・性悪のように、対等に見える二項対立の片側を採用してきたかのように装っている。性善説は、楽。ユーザー性善説に立てば、プログラマの書くコードの量は四分の一にまで減るという。
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自分は成長していると感じる。たとえば、倍速ラジオ体操とか。しかし、倍速ラジオ体操は、いっしょにやろうと家の者を誘っても、みな断る。「あんなみっともないこと、絶対にしたくない」などと言っている。なまくらな者たちだ。とりあえず、からだ全体が痛い。だれもほめてくれない。
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やればできると痛感する。倍速ラジオ体操第一・第二(連続で)。テレビを消した夜八時の居間で、家族と二匹の猫が見上げる中、とりあえず準備体操で気を落ち着かせてから、CDに合わせて一気に踊り出す。途中、瞬間的に三倍速にまで達したとの報告もあり。そこまでは予想すらなかった。疲れた。
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こんだ、ラジオ体操2倍速。体がリズムをごまかさないよう、音楽は必須。となりの和室に移り、覚悟を決める。臍下丹田に力を込めてスタート。4回繰り返すところを8回に、8回は16回に。ゼンマイ仕掛けのような姿を見て、脇で家内がケタケタ笑っている。恐ろしく疲れる。次は第二だと? もういい。
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【同情】を抹殺したのはだれか。当節、「同情」は、絶対にしてはならないことになってしまった。「同情」に魔女のレッテルを貼ったのはだれか。テレビに決まっている。テレビ語の沼にはイカモノが浮いていて、くさい。こんなところで泳いでいるひとの気が知れない。
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自宅の居間で、ラジオ体操を、1.5倍のスピードでやってみる。体操の曲の入ったCDを聞きながら、4回繰り返すところは6回に増やし、8回のところは12回に。ラジオ体操第一・第二と続けざまにすると、息が上ってしまう。2倍の速さなら、自分にはとても無理。これは立派なスポーツになると思う。
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物語はすべて類型のどれかに属するので、自分がやらなくても、別の人が工場で作ってくれる。曲げたり伸ばしたり畳んだり。オプションは多いし味付けも豊富。なにしろ物語には、人類と同じ長さの分厚い歴史があるから。ただ、史上初の一個の人である読者を自分に引きずり込む場合は別。一対一の対話だ。
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昔この世になくて、いまあるもの。それは自分。自分のことなら書ける。自分以外の人も立場は同じだけど、人のことは書けない。本心を知りようがないから。他人の本心に薄くカバーで覆ったものなら想像で書けるが、本心は別。すなわち、私小説には類型云々は通用しない。いつの時代でも一意性を保てる。
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昔に聞いた耳タコモノのジョークでも、若い人たちにはけっこう受ける。それらはテクノロジーのように時代を通して蓄積されることがないから。つまりは、どの時代でもジョークや物語の類型はすでに出尽くしていたといえるのかも。枠物語や入れ子は千一夜物語にもある。すでに手垢のついた手法だったか。
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髭をたくわえるには長い時間が必要だけど、剃るのはいっとき。髭のある人は、髭のない自分に瞬時に変わるという、一種の羽化願望を持ち続けているのではないかと想像する。
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おお~う、わしが、わしの顔が。見ろ、モーリス、モート。ツイッターにわしの顔が大量に並んでおる。わしにそっくりのわしの顔が全部、わしの方を向いて並んでおる。それを見るのもわし、見られるのもわし、全部わし、わしって偉大! ザ・ペンギンズの自意識過剰王、キング・ジュリアンならそう言う。
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過去を振り返って頬を掻き毟るほど恥ずかしい思い出が蘇るとき、意味不明の大声を出して蹴散らそうとする癖が自分にはある。中高生の頃、よく湯殿から父親の「うおぅうおぅ」という叫び声がしていて、あれは何をしているのかと訝ったものだけど、似たような状況だったか。一体何を蹴散らしていたのか。
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「謙虚さを身につけるのは難しいが、それを装うことはできるようになった」と言ったと伝えられる、ベンジャミン・フランクリンは、それでじゅうぶん謙虚。ことばから誠意があふれている。小学生のときに伝記を読んだ。本の中の、おとなになってゆくベンジャミンの挿絵が醜くていやだった。
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自分の中で、歳をとるごとに磨り減っているもののひとつに「謙虚」があります。もともとそんなにはないので、これ以上薄くなると困るくらいまで来ています。そこで謙虚さを装うようにしようと思います。昨日付け中日新聞の中村桂子さんの記事の受け売りですが。
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批評者の言葉は、己を磨く鑢である。耳を傾けなければならない。しかし、批評者の言葉に依存をしてはいけない。批評者は「そうあるべき姿」を求める。鑢はなめらかにはできても、ざらつきは作れない。
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黒うさP氏作『千本桜』をピアノで弾く、中二になった息子の横顔をみている。習い始めて十ヶ月、中古の電子ピアノを畳の部屋に運び込んでから八ヶ月。文化祭の演奏から五ヶ月。よくやっていると思う。十の場所があれば、十の場所でほめてやりたい。
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グーグルのピグマンは、80パーセント以上の確率で、意図した進行方向を向いてくれない。
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アニメ、ザ・ペンギンズの一場面。隊長のペンギンが、新人のペンギンの目を正面から見据えて曰く、──新人、洗脳は怖いだろう? んんー? 洗脳は怖いだろ? ──はい……こわいっす。このアニメには、こうした自己言及型の台詞が多くて楽しい。
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