twitter もどき 私的 MURMUR
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小学三年のころ、忘れ物をよくする困った児童でした。ある日、教師が罰を与えた。それは放課後、僕以外のクラス40人を教室に残して課題(漢字の書き取り)を与え、僕だけは帰宅させるというものだった。それが僕に対する懲罰だとこの教師は考えたのだ。平気の平左で帰った僕もいま思えば情けないが。
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児童の中に犀利でならすN君がいた。もしN君があのときの当事者なら、たとえ自分の耳が引っ張られようと、教師の苛立ちをほかの児童が悟るようになるまで相手の耳をなで続けていたんじゃないかと思う。それに気づいた教師はその場で意を翻し、これこそが指導の目的だったと説明するに違いなかった。
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悪さをした児童ふたりを教壇に向かい合わせて立たせ、それぞれ右手で相手の左耳をつかませ、相手の方が悪いと思う分だけ力を込めて捻り上げよと、その教師は命令した。最初は形だけだったものが、のちに互いの顔が引きつるまでになった。児童の片方は私でした。あのとき確かに教師の期待を感じていた。
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むかしお世話になったある社長は、65歳になったら引退して医者になるつもりだと話してくれた。65歳で医学部に入学し医者になる計画に驚いた。金はあったが若さもあった。それにも勝る、他人にはない何かがあった。現職の社長のままで亡くなったが、天井の高い大きな入れ物を見せてくれた人だった。
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(さっきの「掌劇場」風に)バランスをとるという行為は非難されることはないので、ときに全体が破滅に向かう。滝壺に落ちるくらいなら、その前に舟が転覆していた方がよかった。
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狼と羊は自由の概念を共有できないと誰かが言った。ひとつのたとえ話を実体であるかのように噛み付いてみる。狼と羊はともに獣だから自由の概念は持たないんだよ。人間が狼を滅ぼし狼に代わって羊を殺して食べる。何も考えず、ものを言わない羊に多数決はないし、あったとしてももう聞かない振りだね。
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田中慎弥「田中慎弥の掌劇場」やっとこさ読了。ショートショートのような形があるおかしさと、濃く煮詰めすぎたか味のわからない掌編と、その他から成る。別な短篇で「奥歯が見えるほど大口を開けて」という描写が連続して出てきたことだけで嫌いになった作家。でも別なものも読んでみたいと思った。
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津市のプレミアム商品券、ほかの自治体と比べてスマートに済ませたと思う。13万冊をめぐって5万通、23万3千冊の応募があったという。津市の総人口の18パーセントの人が、平均して購入限度の9割近くまで応募したことになる。もう少し多く(総人口の30パーセント)を予想していたので、意外。
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「安保法案が成立(可決の意か)すれば国民は忘れる」と首相に近い参院議員のひとりが言ったという。そりゃあんた、どういう意味だろうよ。どうもこうもなかろ、この法案に賛成したからといって次の選挙で落ちたりはしない。まあ、そういうこと。台風一過と新国立競技場問題で、すでに記憶も薄れたか。
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むかしの話だけど、近所にものすごくかわいい小学生の女の子がいて、だけど、その子はとてもお転婆でもあったらしい。ある日、通学路脇のスーパーで店主のおばさんに叱られていたという。おばさん曰く「○○ちゃん、あんた、ええのは顔だけやな!」うまいことを言う。伝え聞いた親の顔を想像してみた。
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又吉さんの先輩芸人の「火花」評。「『火花』が又吉が書いてなければもっとよかったのにな」 こういうシーンのお約束ごとかもしれないけど、ちょっといいほめ言葉だと思う。
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冬季五輪のスキージャンプ選手を「日の丸飛行隊」と呼び、国政選挙では「後半戦に突入」し、途中で誰かが死ねば「弔い合戦」。大晦日の「紅白歌合戦」の「両軍司会」、女性「陣」と男性「陣」、ベンチャー企業は「作戦会議」、出先から戻ってくるとおどけて「ただいま帰還しました」。本当は戦争好き?
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「なぜ人を殺してはいけないの?」 殺人は法律で(懲罰を課すことで実質的に)禁じられているから。ルールだから。それ以外の答えはない。俺は何があっても人殺しだけはしない、という覚悟とは関係がない。もし子どもが「なぜぼくは人を殺してはいけないの?」と聞いてきたら、一日つき合おうと思う。
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田中慎弥『田中慎弥の掌劇場』図書館で借りて読み始める。このひとの相貌は、川端康成に似ている。若いころのも年をとってからのも。
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イシク・クル検定で、ふたり受けてふたりとも合格とあるが、じつはふたりとも私です。あれから三年になるが、だれも受けていない。 http://kentei.cc/k/950309
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アナログ時計の文字盤、折りたたみ式地図、年間カレンダー、野口悠紀雄氏の「超」整理手帳。すべてに共通するのは一覧性。情報をモノの形に置き換えて、周辺まで瞬間に理解できる。私は車載のナビは使えない。「三百メール先の交差点を右折しなさい」なんて、本来自分で地図を見て判断することのはず。
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「世代交代」など必要ではない。だれが作ったのか、こんな四文字に踊らされている。組織の若返りは、済し崩しに生じるのが健全であって、頓服の薬効のように派手にやるのは、受け狙いを演じた知謀にすぎない。家父長制時代の家督相続のイメージが大衆の内に残っていて、それが利用されているのだろう。
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権力側が懸念するのは、次の選挙への影響のみ。権力側が恐れるのは、次の選挙での落選のみ。ただそれのみ。国会前の抗議行動なぞ、ごく一部の酔狂者の歌会だと思っている。国の行く末を左右する国政選挙で有権者の半数が投票してこなかった。選挙前の施策や株高で大衆は歓喜する。なめられて当然です。
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きょう、中日新聞で辻真先さんが紹介していた漫画、ひとり暮らしの小学生。動画じゃないけど、第一話から第五話までの四コマ集をみつけた。http://www.comico.jp/challenge/articleList.nhn?titleNo=9844 だが、おどろきの店主といえば、あの猫ラーメン https://youtu.be/1Ni1P9XMSX0 があるからなあ。
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大城貞俊氏『記憶から記憶へ』読了。いずれも沖縄を舞台に内容の異なる三部作に別れてはいるが、リエゾンのように、互いにちいさく突き出た棘のような引っ掛かりで絡み合う。感じさせるものは戦争へのゆるい厭悪だけど、登場人物がだれもそうは思っていないのがリアル。沖縄は特殊なんかじゃなかった。
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岡本学氏『架空列車』読了。架空の鉄道譚は、それだけでおもしろい。私は小学三年のころ、似たことをしていた。震災を入れなくてもいい話にできたと思う。「震災」という物語を動かす強力なエンジンは、プロットの構築を楽にする。震災の前後で主人公が成長するというお決まりごとがないのはよかった。
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くどいかも知らんが、一身上のこと。あの祭りの夜、あの子はたしかに鳥居の前にいた。無表情のまますっと立ってこちらを見ていた。目が合ったあとのことは覚えていない。思い出が危うい。すでに記憶はでたらめを謡い始めている。東京五輪の聖火ランナーは、本当は国道23号線を「南から北へ」だった。
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幼少のころから、女と男で分けられることがいやだった。女たちは声が高くて明るくて、夕焼けを背に浴衣姿でゆるく集まっては、おしゃべりしているような、楽しい雰囲気があった。成長するにつれ否応なしに分けられたのは、止むを得なくもある。でもその内部に、力ずくで動く側の臭いを感じ始めていた。
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(再)回転寿司なんか行かないよという人もいるけど、この日のまぐろはよかった。写真を撮らなかったことを残念に思う。子どもの手の平くらいのものが、蝶ネクタイ状につながってねじれていた。マグロの刺身というよりも、脂と繊維で練り上げた組織を飲み込んでいるような、いわばスープ感覚だった。
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回転寿司のスシローに、この日あった「三貫盛り」。赤身、中とろときて、最後がびん長まぐろの大とろ。皿によって個体差が際立つ。最後に取った皿の大とろは、搾油ができそうなくらいきめ細かな組織が大人の舌二枚分ほどもあり、ふた口でも入らない。よくぞ緑色の席まで残った。みんな見る目がないね!
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子どものころは銭湯通いだった。女湯へは母や祖母と。男湯へは父と。銭湯に限らず、女たちは明るくてよく喋りよく笑った。むさっとしているおとなの男とは大違いだった。だからひとりで銭湯に行かされたときも女湯の方へ入った。小学二年生だった。その銭湯も更地になり、おばさんたちも、もういない。
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子どもの頃、親や年寄りがよく口にした。「骨が外れたら、ヤコウジに行かなならん」ヤコウジという音の響きが怖くて、いったいどんな所なんだろうと想像していた。松阪市嬉野薬王寺町にある薬王堂病院。いまでも怖い。そもそも観光地でもないこんな辺鄙な場所に旅館や食堂があるのも、理由もなく怖い。
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