元旦と二日目、同じ時間にウォーキング。ともに同じコースで海岸沿いと神社前を歩いた。人と車でごった返した初日とは違い、二日は人っ子ひとりいなかった。彼らは日の出を見たいのでも神様にお祈りをしたいのでもなく、他人と同じ行動をとることを重んじているように見えた。見上げた十六夜が美しい。
新型コロナウイルスの感染拡大。ゆえに「コロナ」を悪しざまに言う。みたいで、ほんとうは「コロナ禍」という言い方は、好きではなかった。でも使ってしまった。他で見なかったから。合言葉とは恐ろしいと思う。逆に「昆虫社会」という本には憎き「社会」が使われていると睨まれる時代があったらしい。
★近くにいる従業員に適当な部屋はないか聞いてみた。それではと案内された場所は、もはや部屋とは呼べない、天井も壁も総ガラス張りだった。やたらと横幅のある数段を上がると、目前にイルカショーでも余らすほどの巨大プールが開けてきた。ふちには数人の男女が浸かっているだけ。悪くないと思った。
★床面積の異様に広いホテルを利用しようとしている。最上階の六階は値段が高いとみたのか、若者らには四階が人気のようで、エレベーターを降りるなり広大なフロアの四隅の部屋を目指して駆け込んでいる。中央部には、あらゆるサービスが提供されているが、なすすべもなく自分たちは途方に暮れている。
2020年秋、毎日食べているもの。麦(大麦・燕麦)、大豆(納豆・きな粉・おから・乾燥大豆)、食酢、野菜(キャベツ・ほうれん草・菜の花・オクラ)、海藻(ワカメ・海苔)、魚(サバ・鮭・サンマ・削り節)、カカオ(チョコレート・粉末)。燕麦(カラス麦/オーツ麦)は妹らにも評価されてきた。
★それまで僕らの話す声が聞こえてただろうに、なぜ彼は平然としていたのか。それは、この建物の中にいることが当然の、仲間の声だと思っていたからに違いなかった。それからは現れる公務員の数を数えていた。みるみる数が増し、中庭では男女がボール遊びなどしている。楽しそうだった。別世界だった。
せっかく倉庫住まい、工場住まいを志向しながら、凝った内装などを望むとはもったいない話だ。お金があればあったで、ついぞ離れてはくれないものなのか。『銀河不動産の超越』の著者とある建築家の共著『ANTIHOUSE』という昔の本を図書館で借りた。でもちょっと違うかな。アンチ住常識とは。
通販大手のAやRを装った偽メールは毎日届くが、このごろは文章にも繊細さが欠けるというのか、なんだか、やけくそ気味になってきた。まあ気持ちはわかるけど。「……をお勧めします。それ以外の場合、あなたのアカウントは永久ロック。」とかの体言止めも、和語ネイディブですよは、ちょっと無理筋。
「倉庫に住む」「工場に住む」「家の中の家」などで検索するとたくさん出てくる。アンチ住常識を懐に、サッカーの練習ができるほどの巨大な建築物の隅で中央で、テントを張って暮らしたい。二階とは組み立てるもの。イルカのプールがお風呂代わり。屋内のあぜ道は、天窓から入る光が育む雑草だらけか。
あの江島の大きな建物はなくなっていて、どこかの社長の今ふうの瀟洒な住居が建っていた。いま思えば、あの建物はさほど大きなものではなかった。建物面積で40坪ほど。総二階なら80坪。自分は銀河不動産に出てくるような巨大建築を目指す。もう倉庫しかない。一階のみ、240畳、120坪とみた。
アイスランドで善人になる。旅行者の話は聞かない。北海道の二割増しくらいの国土に、人口はその十五分の一の36万人。人口密度は3人強。ゆったりにもほどがある。住人の大半は、国語、英語、デンマーク語とトリリンガル。識字率99%以上。GDP/Pは世界6位。軍隊なし。徴兵、やったことない。
「無難」と名付けられたやいば。よかれよかれの習慣が、数少ない人を深く傷つける。傷は深いが、数は少ないからと。井戸は耕作に欠かせないが、耕作の邪魔にはなる。だから深く少なく。みんなでオメラスを歩み去れば、地下室の子どもは餓死すると主張する人々。その部屋さえ覗かなければ無難な人生か。
緊急××宣言──とかが解除され、各地は多くの人出で活気が戻りつつあるらしい。息をつめて潜っていた湖底から首を出したみたいに、笑顔で肩をたたき合っているような声を国営放送局のラジオが伝える。ありゃそんなに辛い期間だったのか。では、何も変わらない日々を過ごしていた自分も、それなりに。
父は九十歳だが、体は別に何ともないようだ。長年糖尿病とは無縁だったが、おととしは、A1cが12.4、空腹時血糖値600台と、重度の値を示した。アメとチョコレートの馬鹿食いのせいか。ところが、経口薬が効いたのか、前回と今回では7.1→6.2。なんだか元気そうだ。まもなく卒寿も卒業。
ところが嫁は、やはり西側の少し離れた場所にも白い綿毛がまいてあり、水まで遣ってあると言って怒っている。そっちは知らん。知らないものは謝りようがない。綿毛は、東方向の花から飛んできたとわかったが、水があるのは変だ。「俺のやりそうなことではあるが、俺ではない」と、記憶を確かめながら。
燕麦を自宅の庭にまいたのが嫁にばれた。ウォーキングの途中に道端でつまんできたカラス麦の種子をひとつかみ、目立たぬようにと敷地の西側にこっそりとまいたのが、すぐに見つかってしまった。もうこの家では無理なのかもしれない。これは穀物だと主張しても、しょせん雑草としか見られていないのだ。
国別の新型コロナウイルスによる死者数(百万人当たり)の表を見ていると、夏場だった南半球は別にして、日ごろから辛い食べ物に慣れ親しんでいる地域で数字が低いように思う。https://res.cloudinary.com/hya19ty1g/image/upload/q_auto/v1590657172/moneyplus/NEWS/20200528-data3.jpg 「辛い食べ物をよく食べる人ほど死亡率が低い」という5年前の記事も見つけた。 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/bmj/201508/543548.html
散歩中にふと見ると、道路端に犬のふんが落ちている。わずかに離れて小さいのがもうひとつ。そのどちらにもチョークの白い丸で囲まれていて、5/17と目撃日まで添えられている。これは新たに現れた「自主警察」かも知れず、例の「自粛警察」から派生した現象かと笑う自分は「自主警察ウォッチャー」
家にまだテレビがあったころ。オーケストラの演奏シーンを眺めていた3歳の息子が、「なんだか、みんな、いそがしそうにしているね」。そんな見方もあったのかと家族で笑った。その彼も近々、社内研修のため家を出る。こっそり覗いてやろうかとも思う。「なんだか、みんな、いそがしそうにしているね」
きょうは手作りマスクの日。そんなものがあるのか。嫁は昼前まで、おかずも作らずに手作りマスクに没頭している。自分は衣服用の黒い不織布があったことを思い出し、嫁とは別ルートで、マスクを作ることにした。鼻の部分を盛り上げて、ここだけ糸を使う。ほかはハサミとホッチキスだけなのでお手軽に。
きょうもスーパーに出かけた。マスクは着用した。午前だったせいか、いつもは品切れになっている納豆がたくさんあった。5枚入りのマスクを、またひと箱買った。時間により、あったりなかったりするようだ。連絡が来ていたので、予約の本を受け取りに図書館へ。不断の生活と何も変わらない日々が続く。